【学生感想文】 矢嶋孝敏著 『きものの森』 繊研新聞社

 読書感想文優秀作品 3名の感想文をアップします!


「きものの森」 愛場 瞳

 「きもの」と聞いて最初に想像したのは、『サザエさん』の登場人物、磯野フネさんの和服に割烹着という格好だ。日本人にとってあの姿はどこか母親を思い出させるものだったのかもしれないが、実際のところ、身の回りにあんな品のある格好の母親はいない。きものは、いまの日本で、近いようで遠い距離感にあるのではないだろうか。
 また、『カジュアル化』と聞いて、正直抵抗があった。着物は手間があるからこそ愛おしいと感じさせ、着ている人の価値を高めるものだと思うからだ。そう考えてみると、きもののビジネスが一筋縄でいかないことにも頷ける。しかし、小川先生がブログに書かれていたのと同じように、私も将来、着物で余暇を過ごしたいという憧れがある。そんな私にとって、やまとが切り開いていくきもの文化に、今後さらに期待である。

 「森」というのは何かの物事を極めようと思ったときに、最も理想的な理解構造であると思った。例えば、小川先生であれば、『マーケティングの森』という本が一冊スラスラと書けてしまうはずだ。
 矢嶋さんが森を理解し、育てることが出来る、「思考のからくり」を本書のなかから発見したように感じたため、今回はそのことについて、私なりの発見として考察したい。
 一つ目に気が付いたことは、矢嶋さんの書く文章からにじみ出る、物事の本質をとらえる努力である。本書には『調える』『現場・現実・現物』『行動・連動・運動』『教育⇒共育』など漢字の意味を丁寧にとらえる表現が多い。言葉選びが本当に綺麗で共感できるのは、小川先生に今まで提示いただいた課題図書すべてに共通する特徴だが、今回の課題図書はそのなかでも群を抜いている。
 これはきっと矢嶋さんのセンスではなく、深く考え込む時間によるもののはずだ。本書には自身の苦労話はほとんど記載がないが、本書ひとつとっても、物事を膨大な時間をかけて丁寧に理解し、伝えていく姿勢が読み取れる。

 二つ目に気が付いたことは、本書に登場する数字の数だ。『二つ』『三つ』『四大』『七つ』『10』といったように、かなり高頻度で数字が登場し、重要なことが列挙されている。そして1番目があっての2番目といったように、その列挙には順番が付けられている。きっと私がこのことに特に気が付けたのは、最近に自分もこの方法で思考を整理した体験があったからだ。
 私は現4年生で就職活動最中であるが、自分が選考を受けている企業の志望度合や何を魅力に感じて選考を受けていたのか、ふと思考が停止してしまった日がある。そのときに、企業に求めている条件について13個の条件を並べて書いた。トランプに見立てて、13個すべての条件を満たす企業が『キング』、12個で『クイーン』、11個で『ジャック』といった要領で、企業を割り振った。この13箇条のおかげで、そのあと自分の就職活動がぶれたことは一度もない。今でもこの13条件に立ち返り、自分の価値観を再確認している。

 また、この方法で運営を行っていることで思い当たるのは、東京ディズニーリゾートだ。ディズニーテーマパークでは、Safety(安全)、Courtesy(礼儀正しさ)、Show(ショー)、Efficiency(効率)という4つの行動基準を設け、“SCSE”と呼んで運営を行っているそうだ。重要なのは、これらが優先順位の高い順に並んでいるということだ。“SCSE”の優先順位を守り行動することによって、ゲストにハピネス(幸福感)を提供することができるという考え方である。このSCSEが有名になったのは、東北大震災の際のディズニーの対応である。あのとき、キャストは一斉にすべての営業を停止させ、お客様の安全を考えた。東京ディズニーリゾートはこの行動基準がキャストに徹底されていたため、結果として楽しさだけではない大きな信頼を得ることになった。

 森を育てることは難しいはずだ。そこにある秩序がとても複雑だからだ。そのなかで森を極めるうえで大切なことの一つに、物事を本質的に理解し、数字をつけて順番に並べることで思考を整理する姿勢があると気が付いた。私も、「○○の森」という本が執筆できるくらいに、仕事に関してプロフェッショナルになりたいと強く思わされた。

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「きものの森」 鈴木 基之

 本書は、「きもの」というキーワードだが、着物、アパレル関係者だけでなく、広く読まれるべきだと思う。その意味では「きものの森」というタイトルも変えてしまってもいいかもしれない(センスがないので思いつかないが…)。なぜそう思うのか、今の時代に企業はどう生き残っていくかということを考えさせる一冊だからだ。
本書に出てくるやまとは元々、バリバリのチェーンストアだった。「便利、安い、早い」を追求する文明的なビジネスで成功した。しかし心の豊かさを持つ文化的なビジネスに着眼し、両者の要素を折衷した新しいモデルを作り上げた。経営危機があったからではなく、自主的に自己変革を遂げたのである。後から本として見てしまえばただの成功ストーリだが、当時の一社員の気持ちとして考えると本当にすごいことだと思う。

 今年小川ゼミではコトラーの『マーケティング原理』をテキストに学んでいる。そのテキストでソニーの事例を学んだ。それは革新的な企業であったソニーがなぜアップルやサムスンに負けたのかというコラムである。そこでは、マーケティング環境の変化を読み取れなかった、ないし変化に気づいていたが対策を打たなかったからと書いてあった。例えば、アップルがiPodを発売した際である。ソニーはiTunesのようなインターネットをベースにした複合的メディアの可能性に早くから気づいていた。しかし、早くに対策を打つことが出来なかった。それはウォークマンのCDから音楽から取り込むというスタイルで利益を上げていたために、その収益モデルから脱却できなかったからだ。かくして、iPodに台頭を許し、それがiPhoneの発売にもつながり、現在の状況をもたらしている。

 ソニーとやまとを並列するのはあまりいい例えではないかもしれないが、両社は対照的だ。ソニーは赤字を垂れ流し、やまとは新たな市場の創出に成功した。両社を分けたのは、自己変革力の違いだと思う。自分たちが何者であるべきなのかを真に問い直し、自らの姿を変えていく必要があるのだ。もちろんそれが成功しない可能性があるが、現状維持では時代に取り残されるだけではないだろうか。

 ではどうやって自己を問い直していくべきなのか、それは本書に出てくる「作ること」、「売ること」、「着ること」の3つで分けるとわかりやすいのではないかと思う。これは自社と、自社の利害関係者を振り返るのに最適だ。小売業であれば、製品のメーカーの質、自社のスタッフの質、顧客との関係性、それらが組み合わさって一つの価値を作る。例えばやまとは【作ること】ただの製品→作り手の息吹を伝える製品。【売ること】納得して買ってもらう→共感して買ってもらう。【着ること】フォーマルで限られた人に着てもらう→気軽に多くの人に着てもらう。に転換することで画一的なチェーンストアから心の豊かさを意識する文化的なストアに変貌を遂げた。

 時代に合わせて自己を変革していくことで、企業は長く存続することができる。しかし、いかに自己に問いかけようとも、時代が何を求めているのかを知らなければ意味がない。しかし、その時代の変化を知るのは難しく、それこそセンスが必要だと思う。ただ一つ個人的に思うところがある。社会の小さな変化を追っていけば、次の大きな変化を捉えることができるのではないかということである。

 私は小川ゼミの読書感想文で読んできた本は、一見してニッチなものが多かった。スーパーマーケットの福島屋の本や農業の本だ。しかしその本を読むと、本書のように大量生産、大量消費時代が終わり、人々は別の豊かさを求め始めているというのが感じ取れた。そして今では大手企業もその流れに追随し始めている。例えばビールメーカーがこぞってクラフトビールに進出したりなどだ。だからそうした小さな流れを追うことで次の主流は意外と見えてくるのではないかと思う。

 企業は成功体験にとらわれずに、どうあるべきかを常に考えて自分を変えていくことが必要だとこの本をよんでよくわかった。おそらく個人でも、そのような考え方が必要だと思う。私は就職活動真っ最中だが、社会が今何を必要としていて、自分がどうあるべきかを考えながら活動していきたいと思う。

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「きものの森」 加藤 綾佳

 私は、50歳になったら私服を着物にしたい、と考えている。
もともと、着物に対して強い憧れがあった。祖母が日本舞踊を嗜んでいたことから、着物が家にたくさんあり、慣れ親しんでいたことが影響しているのかもしれない。私が初めて勤めたアルバイトのユニフォームも着物だった。着物を着られるようになりたくてはじめたのだ。(学業との両立が難しくなり、3ヶ月で辞めてしまったが。)
また、”50歳”という区切りは、自分が結婚して子どもを産んでいても、そうでなくても、50歳くらいになれば、なんとなく”文化”の部分にも注力する時間やお金の余裕があるかもしれない、と思っているからである。

 着物を私服にするのは、別に今からでもよいではないか、と思われるかもしれない。私も本当だったらそうしたいところである。私が私服用の着物を持っていない主な理由は、金額が高いからと、買った後の保管・管理が難しいからである。しかし、この本を読んで、私が設定した“50歳”よりも早く、着物が私の私服の仲間入りしそうな予感がしてわくわくした。

 さて、この本を読んでいて驚いたことがある。25年前までカラーバリエーション豊かな浴衣がなかったこと、またそれを生み出したのがやまとだったことである。
 訪問着などのいわゆる“着物”は買ったことがないが、浴衣を買ったことがある、という私と同世代の女性は多いと思う。夏が近づく今のような季節になると、花火や納涼船などの行事に浴衣を着て参加する計画を立てるものである。たとえば、計画が実行されて花火大会に実際に10人浴衣を着てきたら、彩り豊かな浴衣を見ることが出来るはずである。これを私たちは「当たり前」に感じているが、この本を読む限り、1990年まではこれは非日常であったようである。しかし、その後これが大ヒットし、着物の「ファッション化」へ向けての大きな第一歩となった。

 このエイトカラー浴衣の例を使って、著者は「市場を見ることの大切さ」を伝えている。私はこのことについて、昨年のフィールドワーク活動で身に沁みて感じていた。

 私は昨年、ヤオコー班で、「若者に売れる和生菓子」の商品開発を行った。私たちはとにかく売れる商品について考えた。前期では、高級志向のお菓子が流行っていることもあり、高級路線のお菓子の開発をして失敗してしまった。この時私たちは、売上金額のことしか考えていなかったように思う。なんとなく流行っているから、なんとなく高級路線でいったら売り上げが高くなりそうだから、と安易に考え、市場を捉えることが出来ていなかった。

 「スーパーに買い物に来る人」が、どういうものを求めているのか。後期の活動は、まずそこから始まった。とにかく相手を知ることからはじめ、定量的なデータや、定性的な意見から分析して、「安い」「手軽に食べられる」「シェアして食べる」といったキーワードを浮かび上がらせた。商品開発で何を重視するのか、という部分がしっかり決まっていると、実際に商品を作ってみて試食する段階になった時も、軸がしっかりしているので、建設的な話し合いができ、改善点もそれに合わせて出すことが出来た。それにより、商品が出来上がった時の満足度も非常に高かった。店頭でテスト販売をした際も、前期の商品では、食べ方やシーンを詳しく説明しなければわかってもらえないことが多かった。後期の商品は、私たちの「家族でシェアして食べてほしい」という思いが伝わったのか、何も言わずとも家族みんなでこれを食べようと子どもに提案しているお母さんや、兄弟と半分ずつ食べたいとねだっている子どももいた。

 実際にこの商品は売れ、今ではららぽーと富士見店で無事販売されている。しかも新フレーバーも追加している。ヤオコーの「定番商品を作る」という目標で取り組んでいた私たちとしては、とても嬉しい結果である。
今はないものを作る時、判断材料として、「市場を見極めること」が大切であると身を持って感じた。

 この本は、新しい市場を開拓するにあたってのマーケティングの方法だけではなく、文化自体をどんどん前に進めていくための活動について書かれている。文化を“守る”というより、攻めの姿勢で文化をつないでいくという著者の気持ちを非常に強く感じた。日本文化の伝承という意味では、新しい形でのCSR活動であるのかもしれない。
私も、このゼミで学んだマーケティングの知識を使って、未来の「あたりまえ」を作ることが出来たらいいな、と感じた。