【書評】 藻谷浩介(2013)『里山資本主義』角川書店(★★★★★)

 机の上を片付けていたら、積み上がった本の山の谷底で一冊の本が発掘を待っていた。一年前に流し読みして、そのまま放置しておいた本。藻谷さんの「里山資本主義」。ご本人には先月末に、「とことんオーガニック」のセミナーではじめてお会いした。



 だから、早めに精読して感想文を残さねばと思っていた。期待通りの読後感だった。アベノミックス批判はおいて置くとして(笑)、50年後を透視する目の確かさには、畏敬の念さえ覚える。
 「最終総括:里山資本主義で不安、不満、不信に決別を」で述べていた西暦2060年の予言は、50年後にはきっと的中しているだろう。わたしたちの子孫たちが、豊かな日本の社会で暮らしている。そう予感させてくれる希望の書だ。

 筆者の主張をひとことでいえば、「マネー資本主義」(アメリカ型資本主義)から日本は脱却すべき、となるだろう。森林や遊休地をもっと活用して、日本の風土にあった循環型社会を取り戻すこと。それを、NHK広島の取材班(井上恭介氏)が「里山資本主義」と命名した。
 お気に入りの章は、第1章「世界経済の最先端、中国山地」だ。去年の大学院生(瀬良さん)の出身地、岡山県真庭市の国産木材活用の話。わたしは秋田県出身で、生まれ故郷の能代市は木材の町だった。冬場の暖房は、「まきストーブ」だった。「木材くずの発電への活用」や「間伐材を使った集成材(椅子)」は、能代市と合併した二ツ井町の元町長、丸岡君から聞いたことがある。
 戦後、わたしたち日本人が失ったものの一つが、木のぬくもりのある生活だ。そして、エネルギー資源としてのバイオマス(木くずやまき)の停止。さらには、化学肥料や農薬に依存する農業生産。比較優位を失った穀物や大豆を輸入したおかげて、食料自給率が70%から39%に低下。貴重な外貨は、石油や天然ガスを購入するために消えていく。
 その通りだと思う。一見して経済合理的な行動のようだが、国際貿易が豊かな生活をもたらさない場合もある。反グローバリゼーションの本でもある。

 やや唐突な話になるが、2年後に法政大学を退職したら、東京下町に木の家を建てることを計画している。本書の論点は、わが下町移住計画と発想が符合する。住宅の材料として外材を輸入したことで(これも経済合理性があったからだが)、わが生まれ故郷の町が疲弊した。いつしか町の中から丸太が消えて、おがくずで暖房することがなくなった。
 だから、わたしの下町移住プランでは、絶対に国産の木材を使用する。日本の木材産業を支援するために、京都風の町屋は、間伐材と集成材を使って復刻する。

 第2章「21世紀先進国はオーストリア」を読むと、里山資本主義的な世界が決して荒唐無稽なアイディアではないことがわかる。オーストリアは、世界でもっともオーガニック農業が盛んな国のひとつだ。しかも、自ら投票で原発ゼロにした国である。資源の確保に不安を抱えていたから(ロシアの外交的な脅威から逃れるため)、安全面から代替的なエネルギーとしてバイオマス発電を行っている。
 しかも、それがきちんと機能していることを知って驚いた。だから、生まれ故郷の町(能代市)が、本書で紹介されているように、真庭市や高知県やオーストリアに学ぶことで、秋田杉によるバイオマス産業を復活できると確信した。

 本書が多くの読者を集めているのは、日本人がどことなく感じている将来の不安に対して、思いもかけない解法を示しているからだろう。少子高齢化は、メディアがさわぐほど、それほどひどいものではない。
 一部分、自分たちの生活の中に、自給自足的な仕組み(物々交換)を加えることだってできるのだ。子供のころは実際にそうだった。そして、いまでも実際にはそうした仕組みで社会は動いている。縁故米やおすそ分けなどは、日本文化の一部だった。
 市場経由のGDPだけで、社会の豊かさを計るのはおかしい。マーケティングの学者が合意するのも変な話なのだが、この論点も納得である。人間の労働力だって、無償奉仕(ボランティア活動)で金銭換算されない場合も当然ある。こうした部分も、GDPの計算には組み込まれていない。でも、社会には豊かさをもたらす行為だ。
 などなど、ちょっと遅れた読後感になってしまったが、目から鱗が満載の本だった。