平石さんの連載(FOUNDER)に、イノマネ研究科とわたしが登場している。ニューヨークから帰ったばかりの平石教授から、「第3回に先生が出てきます。お時間があるときにご覧ください」と連絡が来た。学生たちがお世話になっているだけでない。彼との仕事はわたしの勉強にもなる。
第3回「最高の充電期間 ― 『何もやりたいことが無かった』」
March 14 , 2013
「読書と内省」の日々
2008年12月いっぱいで人材紹介業から撤退した。身軽になった僕は、一時的には気持ちが高揚していた。僕は2006年4月以降、毎日のようにブログを更新していたが、人材紹介業からの撤退を表明したことで社内は大きな混乱になり、とてもブログを更新する精神状態は保てなかった。
ブログの更新が途絶えたことで心配してか、インターネットリサーチ御三家の1社、インフォプラント創業者(現八戸大学学長)の大谷さんから電話があった。事情を話すと、だったら仕事を手伝って欲しいということになり、一時期、コネを利用してロシアでの市場調査の仕事をしていたのだが、中途半端なことをしていても意味が無いと判断し、すべての仕事を清算した。2009年の夏だった。
僕が創業に関わったウェブクルーの上場、そして、インタースコープのM&Aによるキャピタルゲインのお陰で数年は食べていける蓄えはあったが、一生食べていけるほどの資金はなく、いつかは何かをしなくてはならないものの、何もやりたいことがなかった。その頃、人に会うと必ず2つの質問をされた。1つ目は「最近、平石さんは何をされているんですか?」。僕は正直な人間で、それまでの数年間の出来事を包み隠さず話をしていたが、問題は2つ目の質問だった。
「で、次は何をするんですか?」。
僕に対する期待値の表れであり、ありがたい話ではあるのだが、当時の僕は本当に「何もやりたいことが無かった」。これは辛い経験だった。でも、実はその後の半年から1年間は、後に客員教授を仰せつかることになる法政大学経営大学院(MBA)イノベーション・マネジメント研究科小川先生の言葉通り、僕の人生にとって「最高の充電期間」となった。
小川先生からの一本の電話
投資先の社外取締役や顧問等を除く、すべての仕事を清算した2009年の夏、僕は毎朝妻を仕事に送り出し、近所のカフェで「本」を読むのが日課の日々を送っていた。幸い子供は保育園に行っており、3歳から4歳になる時で、まだ父親の仕事が何かに興味を持つには至っていなかった。法政大学経営大学院(MBA)イノベーション・マネジメント研究科の小川先生から、僕のケイタイに電話があったのは、そんな時だった。
リビングのソファーに座って本を読んでいると、着信画面に小川先生という文字が見えた。電話を取り、現状を説明すると、心優しい小川先生は「要するに充電中ということですね」と言い、「だったら、来年からイノマネ(イノベーション・マネジメント研究科)で教えてくれませんか?正式には教授会の承認を得なければいけませせんが、(法政の)もうひとつのビジネススクールでも客員をやっていただいたことがありましたよね?ですので、大丈夫だと思います」と続けられた。
小川先生とは2004年、法政大学経営学部の竹内先生から紹介されて知り合った。当時の小川先生は、イノマネを立ち上げられた直後で、思うように学生が集まらずに苦労をされており、僕が以前から考えていた「従来型ビジネススクールに対する破壊的イノベーション構想」を話したところ、意気投合し、「将来、何か一緒にやりたいね!」という話になった。
「電話」という意味では、2006年3月、僕がインタースコープの経営から身を引く決断をし、お世話になった方々へメールを送った際、一番最初に電話をくれたのも小川先生だった。
「平石さん、これからどうするの?」と訊かれ、構想はあるものの、具体的なことは何も決まっていないと答えると「じゃあ、とにかく一度、会おう」ということになった。それから1年間、僕にとっては3度目の起業(自分が社長を務めるという意味。創業という意味では6社目)にあたるドリームビジョンと小川先生が立ち上げられたイノマネと共同で「オープン講座」を運営することになった。そんなご縁があり、僕は2010年4月から、イノマネで働くことになった。
僕を駆り立てるもの
2010年4月、僕は法政大学経営大学院(MBA)イノベーション・マネジメント研究科の兼担講師としての仕事を始めた。ドリームビジョンでの失敗ですっかり自信を無くしていた僕だったが、イノマネ(イノベーション・マネジメント研究科)の社会人学生の方々に、自分自身の拙い経験、特に失敗から学んだことを話すうちに少しずつ、またヤル気が湧いてきた。僕が経験してきたことは決して無駄なことではなく、これから何かに挑戦しようとしている人たちにとっての「リアルなケース」として、とても役に立つということが分かり、自分の「存在意義」を感じられるようになっていった。
最初の年はルーキーだったこともあり、小川先生のサポート役として仕事をしていたが、2011年度からは客員教授としてひとりだちし、主査として3人の学生を担当した。初めての主査として迎えた「修論」締め切り日は、僕たち夫婦にとって2人目の子供が生まれた数日後で、尚且つ、僕にとっては7社目となるサンブリッジグローバルベンチャーズという会社を創業した直後ということもあり、2012年2月は今までの人生で最も忙しく、最も体力的に厳しい時期だった。
イノマネでの仕事は自分で起業して会社を経営するのとは違う能力が求められるが、人(学生)を指導する、という意味では部下を指導する(成長に責任を持つ)という仕事と同義とも言え、僕自身の成長にとって大きな意味があると感じている。そのイノマネ3年目の今年、とある学生の方から自分自身について、改めて考えさせられる一言を頂いた。
イノマネは日本の大学院の中では少々変わっており、修士論文には纒めるものの、本質は「ビジネスプラン」を作成することだ。実際に起業する人は決して多くはないものの、できることなら修了後、起業したいという願望を持った人が少なくない。そんな学生のひとりが、僕との会話の中で、こう言った。
「平石先生を駆り立てる何かがあるんですよね?」
僕はドリームビジョンを経営している頃、インタースコープ時代の経験を踏まえ、僕以外に経営メンバーを求めなかった。インタースコープは、僕と山川さんを中心に個性豊かな経営陣により経営されていたことが成長の原動力だったことは間違いないが、それはイコール、異なる価値観のぶつかり合いでもあり、相当なエネルギーが要求された。
そのことに懲りた僕は自分以外の経営メンバーは要らない!と思い、自分一人で経営をしようとした。「経営チーム」ということでは法政大学でご一緒させていただいている田路先生が中心となって書かれた「ハイテク・スタートアップの経営戦略」という本がある。創業時から経営チームを持っている方がその後の成長が早く、成功の確率が高いということが統計的に検証されているそうだが、同時にその経営チームが「価値観を共有」できているか否かで、コミュニケーションコストがまったく異なることが指摘されている。
リクルート出身者が創業した会社は成功する確率が高いように思うが、それは価値観を共有しているからだと僕は思っている。事実として、インターネットリサーチ業界の最大手に登り詰めたマクロミルは、リクルート出身者が創業した会社である。
話を元に戻すと、会社の経営というのは、詰まるところ「人とカネ」の問題につきる。サンブリッジ グローバルベンチャーズを創業して、改めてそのことを感じている。要するに人とカネの問題で、常に悩まされる。どうしてこんな思いまでして会社の経営をしているんだ?と思うこともあるが、そんな思いをしてまでも「達成したいことがある」ということだ。逆に言えば、そこまでのものがないのなら、会社を起こす(起業する)ことなど止めた方がいいし、起業したとしても上手くいくはずがない。
では、僕を駆り立てているものは何なのか?それは「コンプレックス」と「親の世代に対する感謝の気持ち」なのだと思う。