昭和45年(1970年)の入学組、文科2類のゼミ同期会があった。わたしたち18人は、梅沢ゼミの二期生だった。東大闘争で先輩がいない学年だった。同期18人のうち、昨夜は15人が神田のレストランに集まった。奇跡のような出席率だった。
もう一生会えないだろうと思っていた仲間も数人。ベルギービールの飲み放題に、持ち込みのワインが8本。60越えにしては、ずいぶんと飲んだものだ。現役が多数だったが、2浪も数人いたはず。年齢は63歳~65歳までと幅広だ。
監事役はI君で、K君の行きつけのレストランで二階を貸し切った。いくら騒いでも問題はないとのこと。順番に近況を報告していったが、めちゃくちゃ楽しかった。わたしも数年ぶりの出席だった。
何人かとは40年ぶりでの再会だった。もうなつかしくて、涙が出てくる。「あのとき、実は、、」の連発で、「そうだったんだ」と40年後に納得することも多々あった。
同じ時代に、同じように生きた世代だから、あのときの空気感に変わりはない。わたしは、みんなの挨拶を顔を見ずに聞いていた。つまり目をつぶって声だけを聴いていた。
髪の毛がなくなっていたり、雪のように白い頭に変わっていたりはするが、声のトーンや話し方はまったく変わっていない。耳を傾けていると、経済学部の地下のゼミ室で、固い椅子に腰かけて演習をしていたころのままを思い出す。
引退が間近か、すでに引退している同期もいる。みなに共通しているのは、人生の終わりの時期が近づいていることだ。親が病気だったり、本人が大手術から生還したばかりだったりする。
特徴的なのは、認知症の親を抱えているケースが多いことだ。親の介護のために、数人は早期退職を選んでいた。相方(奥さん)のほうはどうしているのだろうか?
出身高校の構成は、都立高(日比谷と西:5人)と私立御三家(開成と麻布:4人)で半分を占めていた。だから、実家は都内か首都圏(千葉、神奈川、埼玉)である。奥さんも都内出身者が多いのだろうか?そのあたりの事情は気になるが、聞きそびれてしまった。
それと、引退後にNPOなどで社会貢献活動に従事している仲間が多いのには驚かされる。先月の駒場教養学部(語学クラス)の同期会でも、そのような話をたくさん聞いた。問題は共通なのだろう。親の介護と自らの病気。実は、身体的にではなく、精神的に重篤な状態にある仲間もいて、欠席した3人にはそうした事情があるらしいのだ。
それにしても、このゼミは、卒業後40年を経ても、「かっこいい親父さん集団」に属しているのではないだろうか?学生時代は、ときどきヨーカ堂で(笑)、おしゃれはVANやJUNでの世代だった。
当時の基幹産業(鉄・エネルギー、通信事業)や大手メーカーに行く仲間はほとんどいなかった。圧倒的に総合商社(6人)。それと、都市銀行とメディア(電通)と不動産で、ほぼ職種が尽きてしまう。東大生にありがちな、官僚(1人)と大学教員(わたし)は例外的な存在だった。
その結果だろう。わが二期生の多数派は、いまではアルマーニやバーバリをきれいに着こなす、おしゃれなおじさんたちに変身していた。もともとが、どちらかといえば遊び人の集団だった。みなさん経済学部では、光り輝いている、異色の存在だったのかな(笑)。
わたしも、近況報告を兼ねて、ごく短い挨拶させてもらった。しかし、黒々とした髪の毛が頭頂に残っているのは、わたしとあと数人だけ。それだからではないが、「つい3日前に、東京マラソンを7年連続で完走しました!」などとは、とても言えるような雰囲気ではなかった。
63歳で、人並み以上に健康であることのありがたみを感じてしまう。でも、とにかく楽しかった。