シドニーマラソン以来の公式レースへの復帰だった。日曜日(1月11日)、12年ぶりに松戸七草マラソンを走った。タイムは53分01秒。10KM一般男子の1002位。惜しくも三ケタに届かなかった。約2000人が参加していたから、真ん中あたりのタイムだ。
「松戸七草マラソン」(10K)は、以前からそうなのだが、コースのアップダウンがきつい。12年前は、それでも47分台だったと記憶している。月曜日は、牛久シティ10Kで連荘で、フラットなコース。50分は切れそうだったが、体調不良とレースの疲れで牛久シティは回避した。
日曜日は、後半になってペースがあがってきた。気持ちがよい走りができた。前半5Kが27分、後半5Kは26分だった。12年前とコースが大きく変わっていて、後半の方が坂がかなりきつめだったのにである。
過去の記録(エクセルシートに15年分を保管)を検索してみたら、松戸七草マラソンには過去二回参加していた。最初は、2002年1月6日。10KMのタイムは、な、な、なんと!44分44秒だった。4×4並びだった。13年前だったから、ちょうど50才である。若かったせいか、いやはや速かったんだ。
2003年は、やはり47分後半だった(厳密なタイムは??)。この年は、元旦から二度ほど、買ったばかりのホンダ・レジェンドを後ろからぶつけられた。さんざんな年だったなあ。
ちなみに、2002年は、松戸七草マラソン(10K)を走った翌月、守谷ハーフが1時間43分38秒。6月の美瑛ハーフが1間時40分台だった。そして、理科大の学生だった長男の由(ゆう)に完勝している。このタイムならば、次男の真継(まつぎ)にも圧勝していただろう。
長男はかわいそうだ。ゴールタイムが1時間43分だった。その5年後の次男(まつぎ)のタイムよりは、むしろ微妙に速かったんだのだ(笑)。
そういえば、このころは、ハーフのタイムは1時間40分前後だった。東日本大震災で流された「松川浦マラソン」(16KM)でも、1Kmを4分30秒で走っていた(1時間12分~16分)。このころのベストタイムは、ハーフが1時間38分(黒磯ハーフ)だった。実に気持ちよく走っていたものだ。
あのころに帰りたい!と思いきや、しかし、フルマラソンは別物である。2003年は、霞ヶ浦が最高タイムで4時間16分。いまよりも、フルマラソンは10分以上も遅いのだ。わたしの身体が、しだいに長距離ランナーに変わってきているのがわかる。おもしろいものだ。マラソンは、体力だけでなく、技術と知識、経験がものを言うのだ。
さて、先週からまた学部と大学院の授業が始まっている。このままでは、今年の東京がやばくなっている。
いま以上に練習量を増やさないと(一日平均4K~5K)、東京マラソンの完走が危なくなっている。一日の走行距離で6KMを超さないと(月間で+200KM)、経験的に、東京で4時間切りが難しいのだ。
今月末に、宮崎(シーガイヤ)で3泊4日の自主トレを予定している。あと40日間、自分を追い込んでいく。