時間よ止まれ(Stop the World)

 このごろ、子守唄代わりに、矢沢永吉の歌を聞いて寝付いている。Uチューブにアップされた、ワイルドな本人画像のVTRである。眠りに落ちる前に、静かでトロピカルなメロディーに浸っている。わたしの中で、何かが起こっているらしい。



 「時間よ止まれ」は、”Stop the World”というのが正しい英語表現らしい。えいちゃんの歌の最後のフレーズが、この言い方だからなのだろう。「世界が動きを止めて!」だとすると、村上春樹ばりに、「世界の終り」みたいに言葉が響くのだが。

 矢沢永吉の歌を子守唄で聞いているのは年齢のせいで、夜中に目覚めることが多くなったからだ。
 目覚めてみると、夢の途中の風景(だと思う)が記憶に残っている。よくあるのは、自分が小学生に戻っている場面だ。いまの自分が過去の自分を見ている。なぜだか知らないが、木枯らしが吹いている梨畑のわきの道を、子供のわたしが鼻をすすりながらとぼとぼと歩いている。両親に叱られたわけではない。ただもの哀しい気持ちで、通学していた中学校がある砂丘の際に立ち止まっている。
 そういえば、生徒会長の仕事で、月曜の朝の学校放送で、あいさつをしなければならないことが苦痛だった。担任の先生から、原稿を渡されるのだが、それを読むのがいやでいやで仕方がなかった。
 だって、自分の言葉ではない。自由な発言を認めてくれる校風ではなかった。だから、「自由と進歩」(笑)の法政大学に奉職することになったのかもしれない。正解だった。この就社は。

 ところで、夢の中だから、自分はあちこちに出没してくる。そして、自分が立ち止まっている風景には、何の脈絡も一貫性もない。とぼとぼと歩いている場所は、呉服屋を営んでいた秋田の実家(能代市)ではなくて、羽立(旧山本町)のおばあちゃんの家なのだ。ちびで痩せっぽちのわたしが、サンばあさんが縫ってくれた、重たいどてらを来て、湿った座布団の上に座っている。
 天井を見上げると、時代ものの太い大黒柱が起立している。その下には囲炉裏が切ってあって、その隣りは湿った冷たい土間になっている。枯れた松葉を燃やしたあとなのだろう。白い煙が、かやぶき屋根の天井に向かってもうもうと立ち上っていく。松葉がパチパチとはじけて燃えるのを、わたしは目を凝らしてじっとみている。
 あの瞬間から、時間が止まってしまっているらしい。55年前の遠い時間のはずだが、囲炉裏端の風景はセピア色に古びてはいない。

 この夢を繰り返して見ている。このシーンを頻繁に見るのは、ものごごろがついたころに、「自分に母親がいない」と気が付いたからだ。その喪失感が、いまでも夢の中で繰り返されている。
 わたしは、4歳の時に、母の実家(珍田家)に預けられた。約二年間、珍田の家で、伯父の家族とともに5番目の末っ子(男子)として育てられた。伯父の子供たちは、4人全員が男子だった。複雑な家族構成で、伯父の長男と次男は父親がちがっていた。
 伯父の珍田武蔵(たけぞう)は、珍田家の三男坊だったが、サンばあさんの長男と次男はぞれぞれ、レイテ海戦と中国大陸で命を落としていた。武蔵伯父の兄たちは、それぞれひとりずつ男子を設けて、遠い戦場に旅立っていった。
 独身でひとりだけ生き延びて田舎に戻ってきた武蔵伯父が、珍田家に残っていた女性とそのまま結婚(むかしはこうした形の結婚があったと聞いたことがある)。さらにふたりの男子を設けた。そこに迷い込んだ5番目の男子が、わたし=長女の長男のコウスケくんだった。

 能代市の呉服屋である小川家で、わたしは、本当は4人兄弟の長男坊だった。5年間で4人(男子3人、妹ひとり)を生んだ実の母(小川ワカ)は、商売をしているから、同時に4人を育てられなくなった。ちょうど面倒を見る人がいないサンばあさんが、わたしの養育係になった。その時点で、わたしは「母を失ってしまった」。
 ときどき、珍田の家(奥羽本線、金岡駅)から鉄道を乗り継いで、能代の実家に戻った(いや、能代に遊びに行く感覚だった)。呉服店の奥で「座売り」をしている、とてもきれいなお姉さんがいた。それが、実の母親だった。
 わたしは母が21歳のときの子供である。母親を「若いお姉さんがいる」と思うのも、無理はなかった。その後も母親を母だと思ったことがない。どこか遠くにいる女性なのだ。わたしの中にある喪失感の正体である。だからなのだろう。寒い風が吹きすさぶ梨畑が、夢の中に繰り返して登場する。
 いまでも、その風景の中で、時間は止まっている。Stop the World、、、