「はじめに」拙著『マクドナルド 失敗の本質:賞味期限切れのビジネスモデル』東洋経済新報社、2015年1月末発売(最終ドラフト)

 『マクドナルド 失敗の本質』は、刊行予定が大幅に遅れて、1月26日の発売になった。その間に、同社の業績は、断崖絶壁から谷底に落ちてしまっている。そして、次々と思わぬ事件が頻発している。さて、すでにアップしていた最終稿(2014年10月)の「はじめに」を修正して再掲載する。



 これにて、もう手直しの作業はない。マクドナルドが大好きな、1970年~1980年代生まれた学生や院生たちが、「マクドナルド、しっかり!」と叫んでいる声が聞こえてくる。
 社内外から、絶叫に近い悲鳴が聞こえてくる。そろそろ社長のカサノバさんの首が危なくなってきている。だが、後継者が不在のままである。この状態で、勇敢に火中の栗を拾う人はいないだろう。
 日本マクドナルドは、どこへ向かうのだろうか? 2チャンネルを見ていると、「マックは終わってしまった」というつぶやきが伝わってくる。わたしの本があと3週間で発売になるが、そのとき、マックの経営はどのような状態になっているのだろうか?
 この本の迎えられ方が、空恐ろしい気がする。

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 はじめに

 「はい、承知いたしました!」
 緊張した声が、通路の向こう側から聞こえてきた。
 日本マクドナルドの幹部役員が7~8人、直立不動の姿勢のままで原田泳幸氏を囲んでいる。緊急を要する会合らしい。ピリピリと張りつめた空気がこちらにも伝わってくる。
 忘れもしない、2008年11月28日、17時50分。場所は、千代田区にある法政大学経営大学院6階。前日にマクドナルドの社長室から連絡があり、「セミナー開始前にミーティングを持ちたいので、どこか教室をお借りできないでしょうか?」との依頼があった。
 あいにく、小さな教室はすべて授業でふさがっていた。適当なスペースがなかったので、空いている研究室前の小さなブースをミーティング用に提供させていただくことにした。
 
 原田氏とお会いしたのは、この日がはじめてだった。日本ショッピングセンター協会主催の講演会で、原田氏をセミナー講師に推薦したのは、コーディネーターで司会役のわたしだった。講演のタイトルは、「マクドナルドの成長戦略 新ブランド開発や新商品開発、または差別化戦略等について」。原田氏に講師を依頼したのには、特別な理由があった。
 わたしは、2001年12月に、流通専門誌の『チェーンストアエイジ』(ダイヤモンド・フリードマン社)に、「食は『ファースト』から『スロー』へ、勝ち組マクドナルドが抱える成長の不安要因」という記事論文を掲載していた(執筆は、日本マクドナルド株公開前の2001年3月)。記事の論旨を要約すると、つぎのようになる。
 「(2000年当時、)ディスカウント路線で成功してはいるが、マクドナルドのビジネスモデルは、もはや時代の流れにあっていない。このままでは、マクドナルドからお客が消えていなくなる。同社は、事業の将来にとって致命傷になりかねない“5つの壁”に直面している。経営環境の変化や食の安全に関する課題に、マネジメントが真摯に対応しないとフランチャイズ事業そのものの未来が危うい」
 警鐘を鳴らした通りに、マクドナルドの業績は急降下をはじめた。翌年には、1973年以来の赤字赤字となり、2003年には、創業者の藤田田氏が経営不振の責任をとって、すべての役職から降りてしまった。
 ところが、米国マクドナルド本社のスカウト人事で、2004年に原田氏が社長に就任するや、長期的に低迷が避けられないと予想していたハンバーガー事業が急回復をはじめた。わたしの見通しが大きく外れて、マクドナルドがV字回復を果たしたのはなぜなのか?その理由が知りたかった。原田氏の講演会を企画して、大学にお呼びしたのはそのためだった。

 ブースでの幹部ミーティングが終わって、原田氏の講演が18時半から1階講義室で始まった。講演の内容は、本書の第4章に登場する「業績回復のための戦略シーケンス」が中心だった。日々の業務で多忙なせいか、原田氏はあまり準備をしていない様子だったが、講演のロジックそのものには、「よく考えられたシナリオで素晴らしい」と感心したものである。
 このときの講演内容の一部は、3年後の2011年に、『日経ビジネス』の誌面で、「日本マクドナルド 原田泳幸の経営教室」として連載された。2013年には、本書でもしばしば引用される『成功を決める「順序」の経営』(日経BP社)として書籍化されている。
 マクドナルドの復活劇を指揮した原田氏の経営手腕には畏敬の念すら覚えたが、講演が終わったあとでも、どこか違和感が残った。2004年から4年間の実績(約1000億円の売上増と事業の黒字化)は認めるとしても、原田氏が「戦略」と呼んでいるものは、短期的な「戦術対応」でしかないのではないのか。マクドナルドの業績は回復してはいるが、原田氏の繰り出しているマーケティング施策は、先の論文でも指摘した「中長期的な課題に対する根本的な解決策」にはなっていない。
 具体的には、①為替レートの反転、②高齢化社会の到来、③食文化の和風回帰、④後継経営者の不在、⑤安価で良質な労働力の確保、という5つの課題を克服できないと、ハンバーガー事業の将来は厳しい」と考えていた。
 根本的な解決策どころか、直営店のフランチャイジーへの売却は、組織の将来に禍根を残しそうだった。わたしには、危険な賭けに思えた。

 もうひとつの違和感は、マクドナルドというブランドに対する若い学生たちの「熱い視線」と、目の前で原田氏の講演を聞いている幹部社員たちの「張りつめた緊張感」との間の落差だった。
 2001年以来、「勝ち組マクドナルドの死角」をゼミの学生たちに読んでもらい、「マクドナルドに未来はあるか?」というテーマでディベートしてもらっている。わたしの一貫した主張は、先に説明した5つの課題をクリアしない限り、マクドナルドの未来は厳しい、とうものだった。
 ところが、ディベートの際に、「マクドナルドの未来は暗い」を主張する小川の意見に賛同してくれる学生は、いつも少数派だった。実は最高に旗色が悪かったのは、日本マクドナルドが創業以来はじめて赤字を経験した2003年の3月だった(2002年12月期決算)。このときにわたしを支持してくれた学生は、27人中のわずか2人だった。ほとんどの学生は(なんと! 25人)が、「それでも、マクドナルドは永遠である」というマクドナルド支持派に回った。わたしの完敗である。
 これほどの強固な顧客基盤があるのだから、さすがに、マクドナルドの経営はそう簡単にはおかしくはならないだろうと考えざるを得なかった。それでも、いまのままの経営を続けていると、長期的にはマクドナルドの事業はおかしくならなる危険性をはらんでいると考え続けていた。

 <本書のねらいと執筆のルール>
 本書は、筆者が感じたふたつの違和感に対する解答である。
 先の講演後の6年間(2009年~2014年)は、繰り返してフィールドリサーチを実施し、調査データの収集や事実の積み上げに努めてきた。その意味で、本書は、原田時代のマクドナルドの施策とその結果を詳細に分析した報告書でもある。
 本書の執筆にあたって、3つのルールを定めた。
 第一に、マクドナルド関係者へのインタビューを意識的に行わなかった。それは、インタビューによるバイアスを避けるためである。たとえば、最高経営責任者の原田氏やマクドナルドの広報担当者に、戦略的な意思決定や事実に関して取材を申し込むことはできただろう。しかし、いったんインタビューをしてしまえば、執筆の際にはインタビュー相手に遠慮がでてしまう。ただし、例外として、戦略転換に関する事実を確認するために、数名のOBには匿名でヒヤリングをした。
 第二に、執筆のための情報は、一般に公開されている資料とデータに限定することにした。誰でもが手に入れられる資料やデータから、日本マクドナルドという会社について、マネジメントの成否を分析することに挑戦したいと考えたからである。利用したコンテンツは、同社が発表している広報資料(ウエブサイトを含む)、事業報告書(有価証券報告書)、ふたつの社史(『日本マクドナルド20年の歩み 優勝劣敗』『Challenging Spirits 1971-2001 日本マクドナルド30周年記念誌』)、新聞・雑誌記事や日本版顧客満足度調査(JCSI)など各種の調査報告書である。
 第3に、マクドナルドに関して議論するときに必ず取り上げられる「倫理的な問題」については、主要な論点としては、原則と取り上げないことにした。たとえば、食の安全性や健康・肥満という切り口から、マクドナルドを批判しているエリック・シュローサー(『ファストフードが世界を食いつくす』楡井浩一訳、草思社、2001年)のようなアプローチは本書では採用していない。ごく単純に、「マネジメントの成否」という一点から、フードビジネスの経営を論じようとした。

 以上、かなり禁欲的に執筆ルールを定めてはみたが、この方法がうまくいっているかどうかは、読者の判断に委ねたいと思う。まずは、つぎの1章で、日本マクドナルドの現状から書き始めることにしたい。

(2015年1月7日早朝修正)