日曜日(6月8日)に、美瑛ヘルシーマラソンを走るため、次男の真継(まつぎ)と上野から夜行寝台に乗る。夕方の18時に上野駅集合だ。食堂車の予約が取れなかったので、飲み物と弁当を買っての合流になる。北斗星は今年で消えてしまう。鉄ちゃん親子にとっても、最後の旅行になるかもしれない。
次男は子供のころ、わたしが全国のローカル線(とくに蒸気機関車)を乗るのに連れまわされた。福島県の奥川マラソンを走りがてら、磐越西線の貴婦人号やトロッコ列車に一緒に乗ったものだ。刷り込みの結果、いまはJR東海で新幹線の運転手をしている。自分で売り込んでの就職だった。
美瑛町のヘルシーマラソンは、わたし自身は、大会参加がこれで8回目になる。そのうちの2回は、家族旅行を兼ねていた。真継は、小学生の高学年のとき、はじめてワンエイツ(約5K/フルマラソンの8分の1)で美瑛の丘コースを走った。
長男の由君と比べて、次男の真継は運動能力全般については劣っていたのだが、なぜか長距離だけは早かった。タイムは覚えていないが、当時のわたしの5Kの記録(20~22分?)とそんなに差がなかった。結果を見て、家族全員がずいぶんと驚いたものだった。
その後、大学生になったばかりの長男と、二度ほど美瑛のハーフマラソンを走った。10年ほど前(50~52歳)のことで、わたしはマラソン人生の全盛時だった。ハーフの記録で、1時間39分~42分。二回チャレンジしたが、長男はまったく勝ち目がなかった。それでも、ハーフで1時間44~45分だった。
次男とは、その後、美瑛のハーフを3度走っている(2008年、2010年、2012年)。田沢湖も3度走っている。すでに55歳を過ぎていたので、ハーフは1時間45分~50分に記録が落ちている。一昨年こそ、ぎりぎり1時間44分32秒で勝ったが、とくに気温が高いと、真継には全く歯が立たない。
アップダウンがある田沢湖でも同様で、2008年以来、ハーフの戦績は1勝4敗である(田沢湖のフルは引き分け、同時ゴール)。これで、7度目の戦いになるが、全般的にこちらの不利は否めない。わたしが勝った2012年も、真継が膝を壊していたからだった。
夕方に合流して、親子で夜行寝台の旅を楽しむことになる。よくよく考えてみると、ともに鉄道好きで、マラソンフリークだからこそできる旅である。29歳の真継に彼女がいないわけではないのだが、よくぞ親父と3泊のマラソン旅行に付き合ってくれるものだ。
しかも電車とレンタカーの手配は真継がやってくれている。わたしは、美瑛町のペンションWE(うい)さんに、7日と8日の二泊を予約するだけだ。昨日は、岩崎さんの奥さんと確認の電話をしただけ。
わたしの左膝は、「小豆島オリーブマラソン」(ハーフ)の後遺症で傷んでいる。この一週間は、自重してなるべく走らずにいある。休みの日に、麻布十番で、星野先生からアロママッサージ(90分)を受けた。その効果は活きているだろうか?
その答えは、日曜日の午前中、増田明美が待っている美瑛の「心臓破りの丘」(15KM地点)で結着する。