本日は、義理の妹(中島賀世子)のお通夜である。「かこちゃん」(奥村家での呼び方)は、10月29日(月)午後7時38分に息を引き取った。発作から3年間の闘病生活だった。担当の脳外科医には「余命二年」といわれていた。しかし、手術の効果もあってか、ふつうの人に近い生活を二年間だけ楽しむことができた。
それでも、50歳の若さである。無念ではあるが、運命とあきらめるしかない。
わたしが、賀世子さんにはじめて会ったのは、かみさん(当時は、奥村姓)が高校2年生のころである。あのとき、かこちゃんは、たぶん中学1年生だったはずである。まさえ(政恵)さんが、かこさんの手を引いて(それほど小さくて、引っ込み思案だった)、わたしが弟と一緒に暮らしていた湯島のマンション(湯島武蔵野マンション2F)に遊びにきた。
そのときのことはよく覚えていない。親父さん(故・奥村正太郎)の影響なのだろう、中学校で剣道をやっていて、葛飾区大会の団体戦で優勝していた。「あのおちびさんが、そんなに強いんだ!」と思ったものだ。
立石中学校から葛飾区の商業高校に進学して、吉田玲子ちゃん(その後に、小川研究室の秘書となる)と知り合う。数年してトリマーの専門学校に行き、その後は中島孝司君と結婚。ふたりの男の子に恵まれる。子育て中から、幼稚園に勤務。順調に暮らしていた。
それが、突然の発病だった。47歳。
亡くなったその日に、夫の孝司くんが、賀世子さんの携帯に番号が登録されている家族や友人・知人に向けて、一斉に同報メールを打った。わたしにはそのメッセージは届かなかったが、娘のともみが転送してくれた。
そのメッセージを、ここに添付する(携帯番号以外は、そのままで)。
FW: たかしくんよりメール、転送します
おはようございますm(__)mかよちゃんが10月29日に亡くなりました。
四つ木斎場にて
11月3日通夜18時より11月4日告別式
10時から11時
かよちゃんは苦しむ事なく息ひきとりました。
携帯(絵文字)が枕元に置いて有るので最後のメール(絵文字)をしてあげてください。
たかしくんからメールきた。
送ってあげて下さい。
ka-XXXfit@docomo.ne.jp
娘のともみから、このメールが転送されてきたとき、わたしは中島家の寝室にいた。ベットに横たわって目をつむったままでいる賀世子さんの枕元をみると、アイスノンの隣に置かれた携帯がリンリン鳴っていた。メールの着信音である。次から次へとかかってきている。
もちろん本人は電話に出られない。もはや携帯のメールを見ることもできない。でも、携帯に続々とメールが入ってきている。きっと、かこちゃんがどこかでメールを見ることができると信じて、友人たちはメッセージをおくり続けているのだ。
別れを惜しんでくれている友人たちと、たくさんのメールに感謝。
しばし、黙祷。