【映画評】 BY ドクターコウノ「風立ちぬ」(宮崎駿作品)

 自分が映画評を書く前に、このようなブログを発見してしまった。わたしとは立場は異なるが、このような感想を持つ鑑賞者もいるのだ。先週、宮崎駿の新作「風立ちぬ」を大森で観た直後の映画評である。ドクターコウノ(河野医師)は、認知症の治療で有名なお医者さんである。間接的な知り合いである。http://dr-kono.blogzine.jp/

宮崎駿「風立ちぬ」は、体が震えるような悲話。R35指定!ぜひご覧を

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 スタジオジブリの鈴木プロデューサーがこの新作の広告に「宮崎駿、72歳の覚悟」という副題を一時考えたのは、おそらく、この映画は興業的に失敗するとの覚悟を言いあわらしたのだろう。どうみても子供受けする内容ではないからだ。

 私はモーニングショーでこの映画に出かけた。夏休みにも関わらず確認できた子供は1人だけ。場内はまさしく「R35」(35歳以上限定)の世界だった。これだけ大人が埋め尽くした映画館を久しぶりに観た。ゴッドファーザー以来かもしれぬ(当時の幼い私にはよくわからない映画だったが)。確かに子供が楽しむ映画ではない。

 「覚悟」。宮崎監督は、いつ自分が引退するのだろうかという思いで毎日を過ごしているのではなかろうか。もしこれが最後の仕事になるのなら、映画に込める目的は二つ。一つは戦争に向かおうとする日本人への警鐘と勤勉な日本人への敬意。もう一つは大好きな飛行機を思い切り描きたいと言うこと。しかし、主人公が飛行機に恋をするわけにはいかず、そこは堀辰雄の小説からヒロインを拝借してきた。映画の題名は、堀辰雄の小説と同じだが、この風の意味するものはゼロ戦がおこす風と理解される。

 ただ、宮崎の意図を深読みするのは本人に迷惑かもしれぬ。彼は「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない」と語っている。ただ、「美しい飛行機を作りたい」という自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたかった、という。しかし、それは嘘だと思う。彼の胸には世間に公表できない意志はあるのだと思う。72ともなると「言わなくてもわかるだろう」という構えなのだ。

 美しすぎるものへの憧れは人生の罠でもある。長い戦争期間中にゼロ戦を上回る戦闘機がアメリカに出現した。優秀な日本のパイロットは全員戦死。美しくもない馬力だけの米軍機に数で取り囲まれ、名機ゼロ戦は1機も母国に帰還できなかった。結婚相手もそうである。美しい嫁が最後まで自分を愛してくれる確率はけっこう低い。最近の統計では、相手を顔で選ぶ率は女性のほうが多くなっている。日本女性の魂の劣化ということか。その点男は、「だめオヤジ」(1970-1982、古谷三敏)以来かなり学習してきた。私はこのブログにおいて、日本の行く末のため、女性を正すため「だめギャル」の新連載を覚悟しなければならないと思っている。

 堀越二郎は、のちに国産初の航空機YS-11を設計した天才である。言うまでもなく人を殺す兵器を作りたかったわけではない。そのことを理解せずにこの映画を観た中国、ハワイの人たちが「ゼロ戦はたくさんの人を殺した兵器じゃないか」と憤慨するとしたら勘違いも甚だしい。しかし、やはりこのような見方をする観客が海外で出てくると言うリスクは否定しえない。

 だから宮崎の覚悟と言うのは、せっかくの夏休みにも子供は一人も観に来ない、中国で上映するのは少しやばいかもという危険性をはらんででも、戦争とは関係なく兵器を設計せざるをえなかった日本人、関東大震災、太平洋戦争と二度にわたって壊滅した首都東京を立て直した日本人の勤勉さ、最悪の時代に栄養不良で結核に倒れていった恋人たちの無念をどうしても日本人に見せたかったのだろうと思う。人間年を取ると打算ではなく、mission(使命)の世界に入ってゆくものである。

 エンデイングロールに流れる荒井由美の「ひこうき雲」が静まり返った場内を流れると、なんて心にしみる歌なのだろうと思う。当の松任谷由美は「この映画は一見大人向けに感じるかもしれないですけれど、ひこうき雲の世界観とびっくりするくらい重なっていて、映画そのものが中学高校生にすごく響くのじゃないですか」とコメントしている。私が思うに、決して小学生に見せる映画ではないが、中学以上なら必ず感動してくれる。現に彼女がひこうき雲を作ったのは高校時代である。ひこうき雲の詩を今一度読むと、若くして天に上る恋人がひこうき雲になるという意味である。これが宮崎の脚本の恐ろしく一致する。

 戦争のむなしさを知る日本の大人たちにはぜひ大勢観に行っていただき宮崎監督の覚悟を支えてやってほしいと思う。とにかく、これだけ美しくリアルな背景画を観たことがない。関東大震災の直後の人の動きの動画の作画には世界一時間がかかっている。森林を歩く人にあたる木陰のめまぐるしい変化や、日本海軍の駆逐艦が浮かんでいる海のさざなみ、空から俯瞰した山々に太陽の影が移動してゆく様子、どれをとってもアニメファンをうならせる出来である。もしこの映画が予定通り赤字になるのなら、私は日本の大人たちに深い失望を感じるだろう。

 私が先週1日2000アクセスを記録したこの認知症ブログに、宮崎作品の話を巻頭に掲載したのは、その強い思いからである。来年DVDを借りてきたとしても最後の感動は決して味わえない。宮崎が示した日本人の勤勉に、スタジオジブリはすべて手書きでセルを書いた勤勉さできっちり答えている。それを私たちはDVDでいいやなどと思うべきではない。芸術にはそれなりの報酬を払うべきである。ちゃんと映画館に足を運んで入場料を払うことでジブリへの敬意を払うべきだと思う。

 もちろん戦闘機ファンには、最後の場面ゼロ戦が世界一の速度で編隊飛行し、堀越に敬礼する場面には胸に込み上げるものがある。複葉機時代の空母や豹柄の陸攻の飛行もオタクには見逃せないマニアックな選択である。最後に名古屋ファン(?)には当時の市電や伏見の銀行街が描かれていると言う垂涎の場面もある。(堀越が名古屋の三菱に勤務したから)

 私がこの映画をR35と指定したわけは、1930年代の青春という時代背景を親や祖父母から聴いて、より濃い涙を流せるのが35歳以上だからである。いまの高校生が観たら「すごくいい映画」と言うだろうけれども、ただ単に恋人の別れというありがちなエンデイングに泣くのとは、35歳以上では涙の塩分濃度がはるかに違うと言うことである。もし濃い涙を流す高校生がいるとしたら、祖父母に育てられたとか、日本の歴史をよく学んでいる子供であるとか、将来の日本を背負ってゆける子たちであると思う。だから親は、デイズニーランドを修学旅行に選ぶような高校に子供を入れてはならないのである。

mission:日野原重明先生(10月に102歳)が好んで使う言葉。コウノメソッドのミッションとは、人として尊敬される医師になること、治療をあきらめないこと、患者を苦しめるもの(エーザイ、学会、教授)を叩き潰すことである。自分の行動が多くの敵(精神科、神経内科)を作ることは覚悟の上である。ミッションを一歩でも前進するためには、たとえ自分が倒れても相手になんらかの傷を負わせ、仲間が最後に敵にとどめを刺すことである。