”大殺界”の年ゆえ、仕事の拠点を神楽坂に移すことを断念する(先週末のこと)

 今年は、”大殺界”にあたっているらしい。ある女性の大学院生の姓名判断によれば、「(”小川孔輔”先生は、)今年は新しいことを始めてはいけない。学びの年にしなさい!」とのアドバイスを受けた。そこで、新しい仕事の拠点を都内某所に構えることを断念した。

 ずいぶんと迷ってからの決断である。数か月前から家族にも相談をして、一応は承認をえていた。何か物事を始めるときには、自分ひとりで勝手に決めてしまう。家族としては、「反対のしようがない」と思っていたのだろう。

 都内にサテライトを持ちたいと思ったのは、通勤がしんどくなってきたからである。年間2000KM弱を走るランナーではあるが、さずがに60歳を超えてからは、毎日、片道1時間10分の通勤が身体にこたえるようになってきた。
 仕事の分量は、50歳代よりも増えている。いずれも、わたしの「体」を必要とするものばかりだ。ふつうの経営者(上司)であれば、組織内で部下たちに仕事を割り振れるのだろう。わたしの場合は、たくさんの現場を抱えているので、残念ながらそれができない。
 たいていのプロジェクトで、わたしが長期に不在のままだと、現場がうまく動かない。一緒に仕事をしている人たちのモチベーションが下がってしまう。

 都心に居を構えたいと思ったもう一つの要因に、電車に乗っている状態で文字が読めなくなってきたことがある。50代半ばまでは、電車に乗っている往復2時間を有効に使って、本を読んだり授業の準備をしていた。しかし、もはや移動中の学習や事務処理は困難を極めている。
 「ある年齢に達すると、電車の中で文字が読みにくくなること」を先輩諸氏から何度も聞かされていた。自分に限っては、そんなことはありえないと思っていたのだが、実際にそうなってしまったのである。
 読書対象の媒体(活字や携帯)が動かない場所(研究室や自宅)で本や資料を読むしかない。移動中にブログを携帯入力しているが、これもかなりしんどくなってきた。

 というわけで、新しい仕事の拠点としては、職場から歩いて行ける範囲の場所を選んだ。長い間、いつかは住んでみたいと思っていた神楽坂である。牛込柳町にごく近い、アパートの二階。東南の角部屋を選んで、そこを仮契約していた。
 神楽坂には、素敵なレストランや粋な飲み屋さんが増えている。神楽坂の喧騒をすこしだけ離れて、わき道を数分歩いた先の、閑静な住宅街の中にあるアパートだった。昼も夜も、どちらも静かな場所だった。
 
 先週末、確認のために再度、その部屋を見に出かけた。
 最終的な決断としては、神楽坂に移住することを半年間、先延ばしすることにした。延期の表向きの理由は、わたしの今年が、大殺界の年に当たっていることである。
 そして、隠れた理由を明かしてしまうと、アパートの二階玄関の真ん前が、都心には珍しい「墓地」だったことである。わたしは、自他ともに認める、極度のさみしがりやの怖がりである。たぶんお墓の前にある1DKの部屋では、わたしは夜ひとりで眠れないだろう。