依頼原稿の最後の論考をようやく脱稿した。それもこれも、熊本に走りにいけなかったからである。台風並みの低気圧に感謝である。論文を「日本マーケティング協会」にメールしたら、晴れ上がっているから、外を走ることにしよう。気温は20度をかなり超えている模様だ。
(寄稿論文)「石井教授の“マーケティングの知3.0”を妄想する:個人的な体験とリサーチャーとしての夢」『季刊マーケティング・ジャーナル』(2013年129号)
法政大学経営大学院教授(日本マーケティング学会理事)小川孔輔 (V2:20130407)
1 問題提起
『マーケティング・ジャーナル』の前号(127号)で、日本マーケティング学会の初代会長に就任した石井淳蔵教授(流通科学大学学長)が、「マーケティングの知3.0」というパラダイムを提唱している。マーケティング研究の発展を踏まえ、研究と実務教育の関係を対置させながら、マーケティング研究の時代を3つの段階(1.0~3.0)に区分している。「巻頭言」を読んでいない読者のために、原文を要約させていただくことにする。
「マーケティングの知1.0」は、研究も教育も研究者主導で行われていた時代。新しいマーケティング技法を研究者が教え、実務家が学ぶという関係が維持されていた。「マーケティングの知2.0」では、研究者が現実の中で理論を理解しようとする姿勢が生まれる。現実に入り込んで業界や企業の歴史を詳しく調べる手法が重視され、実務家と研究者の間に相互の交流が生まれる。
そして、「マーケティングの知3.0」では、マーケティング教育でも実学志向が強まり,企業と組んで商品企画に挑んだり行政と組んでまちづくりに挑んだりする。研究と現場との相互学習が進み、この段階になると理論づくりと実践の区別が難しくなる。研究業績も個人に帰属させにくくなる。研究はコミュニティの産物であると同時に,コミュニティを作り出すための手法となる。
最後に、石井教授は、「3.0 は,私にもまだ夢の世界。読者の皆さんは,どう感じられるだろうか」と締めくくられている。
「3.0」を解釈するに、「研究と実務の境目がなくなり、その境界が溶けてなくなるマーケティングの段階」を指しているとわたしは理解している。巻頭言では、「3.0」の具体的な姿を石井さんは明示していない。あえて具体的な内容を書き込まなかったものと思われる。2012年に創設された「日本マーケティング学会」に参加してくる研究者や実務家集団にその新しい概念を投げかけて、論争や討議を喚起するのがその意図だろう。
アイデアの提唱者ではないが、その実践者として思いつくままに、「マーケティングの知3.0」の姿を夢想してみたいと思う。マーケティングの知3.0で、何が変わるのだろうか?
いまから10年~20年後、時は2020年代の後半。石井先生もわたしも、もうこの世にはいない。いや、少なくとも研究者としては終わっている。そのとき、わが末裔のマーケティング研究者たちは、異質なマーケティングの世界に住むことになる。いま一緒に活動している若い実務家リサーチャーも、研究者として同様な移行期(トランジション)を経験することになるだろう。それはすでに始まっているかもしれない。
未来の話(「3.0」の世界観)をする前に、いま一度、わたしたちが住んでいるマーケティング・サイエンスの側から、「マーケティングの知1.0」の世界を回顧してみることにしたい。
2 マーケティング・マネジャーの知識環境(リサーチの知1.0)
いまから40年ほど前、米国のマーケティング・サイエンス研究者たち(代表的な研究者としては、リトル、モントゴメリー、アーバンなど)は、当時、企業のマーケティング部門に導入されつつあった「マーケティング意思決定支援システム(MDSS: Marketing Decision Support System)」を、マネジャーを中心に描いて見せてくれた。
ところが、企業のオフィスにマーケティング・マネジャーはいるが、研究者の姿は見えない。経営の現場においては、実務家であるマネジャーが市場環境と情報的に交信しているだけである。研究者は現実社会には組み込まれておらず、マネジャーのはるか後方に控えている。図書館で書籍や調査資料を渉猟したり、研究室で統計手法やコンピュータ・モデルを開発している。あるいは、専門家のサークルである学会で議論を闘わせて、理論やモデルを構築している。石井先生が主張しているように、「1.0」の時代において、実務家と研究者は別世界の住人である。
たとえば、花王の調査部長だった陸正氏(その後、千葉商科大学教授)が、その著書『マーケティング情報システム』(1988)の中で、Little(マサチューセッツ工科大学教授)とMontgomery(スタンフォード大学教授)が発表した論文を脚色して、MDSSのスキームを紹介している(図表1)。1980年代にフロントランナーだった日本人リサーチ・ディレクターは、マーケティングの理想世界を以下の図式で理解していたように思う。陸部長の頭の中を覗いてみる。
オフィスの机に座っている「マネジャー」は、コンピュータのデータバンクから市場情報を取り出す。その「データ」を作業のためのインプットとして、「統計」パッケージから借りてきたソフトウエアで、「モデル」を使って「最適化」のシミュレーション(マーケティング意思決定)を試みる。そのあとでは、市場に対して具体的な「アクション」を起こすだけ。
マーケティング・マネジャーにとって、このような情報環境はいまでも企業の中で健在である。しかし、「マーケティングの知1.0」の最後の際は、POSデータが利用可能になり、インターネットが登場する「マーケティング情報革命」の前夜であった(小川 1999)。リトルやアーバンやモントゴメリーの現実理解は、イメージのこの領域(MSDDの図式)から出ることはなかったと思われる。 MDSSが現実のものとなるのは、「マーケティングの知2.0」の時代になってからのことである。
<この付近に、図表1を挿入>
3 マーケティング情報革命の本質(「マーケティングの知2.0」へ)
ハーバード大学(HBS)やノースウエスタン大学(Kellogg)のマーケティング講座で事例研究が、MITやシカゴ大学で統計的なデータ分析がふつうに行われるようになったのは、1970年代から80年代にかけてのことである。そのころ(1982年~1984年)、わたし(小川)は米国のビジネススクール(カリフォルニア大学バークレイ校)で客員研究員をしていた。在外研究の間に座っていた米国のビジネススクールのクラスには、卒業生の企業幹部が自社のマーケティング実務(Marketing Practice)を伝えるために講師として来ていた。事例研究も大切な授業ユニットではあったが、社会人学生が目を輝かせて聞いていたのは、自分たちの次の仕事場で起こっている現実を教えてくれる実務家講師たちのレクチャーであった。
大学の研究者は、マーケティングのクラスでは、ひとりの「解説者」として企業事例や市場のトレンド情報を「仲介する役割」を担っていた。日本でビジネススクールが本格的に開講されるようになった1990年代以降、現在に至るまで、社会人学生がMBAの授業に期待するものは、彼らがいる現場とは異なる企業事例のライブ感を肌で感じることができることである。貴重な他社事例を理論的に説明してくれる学者(GURU)の解説を、経営大学院で聞くことに意味がある。自社の教育研修プログラムでは、こうした知識の相対化には限界がある。相互啓発の場所はビジネススクールにしかなく、それゆえにMBAのクラスが必要とされている。
1995年のインターネットの登場は、わたしたち研究者と実務家の情報環境を一変させた。インターネットの本質は、大量のデータを瞬時に取り出せることではあるが、それと同時に、顧客もマネジャーも相互に自由に情報交換ができるようになったことである。すなわち、マーケティング情報の利活用に、「自由化」と「民主化」の波が押し寄せたのである。社会の中でのアカデミズムの役割が変わり、情報フィードバック・ループが生まれたことで、研究者に対して一般社会が「机上の空論」を許さなくなった。
1980年代のリサーチャーにとっての知識環境が、2000年代にどのように変わったのかをMDSSの図式(図表1)をもとに考えてみよう。
① データバンク
「マネジャー」は、“自社の”コンピュータのデータバンクからだけでなく、ネットからも友人・知人からも市場情報(定性データ+定量データ)を自由に取り出すことができる。人と人の間のコミュニケーション活動が自由化され、「1.0」の時代に比べて、データの交信頻度がより活発になる。データが自由に解放された。
② 統計パッケージ
「データ」の加工手段としての「統計」パッケージ(たとえば、「エクセル」もその一つ!)は廉価になる。フリーのソフトウエア(たとえば、テキストマニング用の形態素分解ソフトの「茶筅」など)も増えて、「モデル」を使って「最適化」のシミュレーションすることは、基本的に「クラウドソーシング化」されるようになった。専門知識は必須だが、データを活用するための手段としてのツールは、原則としてフリーである。分析手段(統計ソフト)が社会化された。
③ マネジャー(インターフェースと働く場所)
マネジャーたちの外部とのインターフェースは、メインフレームの端末からPCと携帯(スマホ)に取って代わっている。将来はもっと操作性がよいインターフェースが開発されているだろう。i-phoneを超える音声入力や脳波を使った自動入力装置である。また、作業場所としては在宅勤務や直行直帰などがふつうになり、そもそもマネジャーたちの働き方が変わりつつある。
そのような環境の変化の中で、旧来型の構造を持ったデータベース(図書館的な情報倉庫)は消え失せることになりそうだ。新聞や書籍などのドキュメントの電子化が急速に進展している。商業的にもクラウドソーシング型のデータベースが主流になるから、どこにいても、研究やデータ分析作業に不便は感じなくなるだろう。
そのとき、逆説的なのだが、知の創造にとってもっとも大切なのは情報ネットワークの力ではない。その存在は、ごく当り前すぎるものになる。データベース利用の自由化と分析手段の社会化が到来したあとで、知の差別化にとってより重要な要素は、むしろ人間的なネットワーク(石井教授の表現では「コミュニティ」)である。それも専門家集団の知的な村世界(コミュニティ)である。そうした場所にこそ研究者の生きる道がある。新たな知が生み出す仕組みの中心に、そのようなコミュニティが位置すると考える石井の説は100%正しいと思う。
ここまでが「マーケティングの知2.0」の世界である。すでに起こっていることを記述してみた。一部については、5~10年後くらいに起こることを予想してみた。誰でも推論ができる常識的な範囲のことである。それでは、「マーケティングの知3.0」の未来において、わたしたち研究者が居る場所はどこにあるのだろうか? 実務家たちは、どのような仕事をどのような場所で行うことになるのだろうか?
4 「マーケティングの知2.5」(実務家的リサーチャーの思考と仕事への取組み)
「3.0」の世界を素描するにあたって、筆者の講演録(メモ)を読んでいただきたい。日本消費者行動学会での基調講演の要約である。テーマは「日本版顧客満足度指数(JCSI)の開発と現状」であった。
ちなみに、JCSI(日本版顧客満足度指数)は、日本最大級の顧客満足度調査である。2007年度から経産省の支援で開発が始まり、2010年からは民間事業として実用に供されている。筆者は、企画段階から開発委員長として調査システムの設計を指揮してきた。現在も、調査方法の改善と事業戦略の構築と運営に関与を続けている。
講演録を掲載したブログの副題は、「あえてガラパゴス化の道を選ぶ」となっている。原文はかなり長いので、メモを再編集して全体を短くしてある。
講演抄録:「あえてガラパゴス化の道を選ぶ」
(第41回「日本消費者行動研究学会」の基調講演@関西学院大学、2010年11月6日)
(前略)20年前に、「日本消費者行動研究学会」が発足した。わたしも創設のメンバーのひとりである。消費者行動を研究する学者には2つのタイプがいる。当時もいまも同じである。この議論は、当時の若い設立メンバーだった学習院大学の青木幸弘教授(当時は、関西学院大学助教授)などと話したことである。そのままである。
一番目のタイプは、ひたすら理論を極めようとする一団である。消費者心理や行動そのものに興味がある。企業やブランドは、ある意味では研究材料でしかない。理論や仮説の応用にはあまり関心がない。研究の目的は、純粋に発見の喜びである。80年代後半、ポストモダンの消費者行動研究が隆盛をきわめはじめた時代である。ビジネス世界がどうなっているのかについて彼等はあまり関心がない。わたしはそうした研究態度には疑問だった。その意見はいまでも変わらない。
二番目は、わたしのように、「世の中の役に立たないような研究はすべきではない」と考える実務派の研究者たちである。これは、実のところでは少数派だった。いまでもそうだと思う。別名、実務サイエンス派である。実務とつけたのは、「実務的ではない」科学者もいるからである。わたしのように、正面きって「ポストモダンの消費者行動研究」への批判を展開していた科学者は少ない。若い人には、できればまねをしないでほしい。
わたしは、「研究のための研究」は無意味であると考えている。統計や調査に基づく研究でも、それは同じである。サイエンス派の問題は、データとモデルに新規性を求めるあまり、現実から遊離してしまうことである。ちょうど中間がよい。
基調講演のテーマは、わたしが20年間にわたって、消費者行動研究に与えたひとつの答えである。現実的であり、なおかつ理論に貢献する。しかも日本のサービス産業の生産性向上に寄与する。役に立つ調査システムの設計(JCSI)をしたわけである。
(中略:JCSIの開発意図と概要、代表的なデータの解説)
最後に補足をしておきたい。本題のJCSI(日本版顧客満足度指数)は、米国の調査システム(ACSI)を基準に設計されている。しかし、韓国やシンガポールなど、米国版顧客満足度指数を単純にコピーしたものではない。アジアの中進国が採用した調査システムは、米国ACSIの「植民地モデル」である。本家を無批判に模倣している。
わたしたちは、日本の現実に即して、調査項目やデータ収集法を変えてある。世界標準の「ミシガンモデル(フォーネル教授)」とは一線を画している。わたしたちの方法は独自性があるが、悪くいえば「ガラパゴス」である。しかし、稀少品種であることをあえて選んでいる。なぜなら、役に立つことがない世界標準は、それ自体が無意味だと考えたからである。日本のサービス産業のためにならない世界標準では意味がない。
ときには、ガラパゴスカの環境を選ぶこともよいだろう。生物の多様性を保持することも大切である。世界標準から離れて画一化を拒否することが、長期的には正しい選択であることも多い。とくに、文化的な消費やコンテンツには、これが当て嵌まりそうだ。その結果は、歴史が証明することになるだろう。未来のアイデアのタネは、ガラパゴス的な文化にあるかもしれないと信じている。
「日本消費者行動研究学会」で基調講演を行ってから約3年半が経過している。いまでも基本的な考えは変わっていない。それどころか、その後は、わたしの仕事は実務的な研究者としての色合いがますます強まっている。もはや従来型の研究者の枠からは外れてしまっているらしい。「マーケティングの知2.5」の淵を超えようとしているのかもしれない。
5 「マーケティングの知3.0」の世界
図表2は、いずれ到来する「マーケティングの知3.0」の情報環境を、「1.0」と「2.0」に対比させてみたものである。リストの中では、マネジャーたちが置かれている意思決定環境を5つの軸(インターフェース、データバンク、分析手段、意思決定モード、環境とのインタラクション)から整理してみた。別の角度から、「マーケティングの知」の世界を、現在~過去~未来の3つの時代区分により要約したものである。
「3.0」(未来)において、マーケティング・マネジャーは、専門知識(マーケティング知識)により相互に連結された「コミュニティ」に所属している。図表1の「1.0」(過去)~「2.0」(現在)において、個別企業に所属しているマネジャー(たち)は、それぞれが独立して活動していた。それが、「3.0」(未来)では、相互の仕事(マーケティング知識の創造作業)が横方向に連結される。その絵図を、読者は想像してほしい。個々人の知識情報システムが連結された先に「マーケティング・コミュニティ」が存在している。
<この付近に、図表2を挿入のこと>
「コミュニティ」そのものは仮想空間に存在しているのだが、知識の相互交流には、物理的な空間も必要である。大学や学会のような組織が、フェース・ツウ・フェースでの交流の場を提供することになるだろう。そうした場所においては、大学教員の資格を持っている研究者は、「2.0」の世界でのように、単なるマーケティング知識の伝達者ではない。コミュニティで起案されるプロジェクトをコーディネートする役割を担うことになる。
実行されるプロジェクトの内容は、「2.0」(現在)までに実施されてきた調査や実験の枠組みを超えることになる。そのかなりの部分は、実務家が提供する課題に対する実際の解決法を探るためのリサーチ・プロジェクトになる可能性が高い。その場に投入される知恵は、実務家と研究者の共同作業によって生み出される。また、ほとんどのプロジェクトには、学生(学部生と大学院生)がインターンシップの形で参画することになる。
石井先生の予言は実現することになる。研究と教育の活動は区別できなくなり、そこから生まれる新しい知識は、コミュニティの共有物(コミュニティの知恵)である。したがって、「3.0」(未来)の世界では、論文の発表形態と知的所有権の所属先は、現在(「2.0」)のような「共同論文」の形ですらなくなってしまうかもしれない。
6 「大学の知3.0」(研究者と実務家との境目がなくなる)
「マーケティングの知3.0」の時代において、大学という研究教育組織はどのように変貌を遂げることになるのだろか? 本稿が取り扱うべき最後のテーマである。
大学という組織を社会的な枠組みの中で定義すると、「研究者(知識の開発者)を賃金(経済的なインセンティブ)と身分(継続的な雇用保障)により囲い込んだ経営主体」ということになる。この組織形態は、経済的には、主として若者への知識伝授活動に対する報酬によって維持されている。研究活動資金の一部は、政府の補助金と企業の委託研究によって負担されている。知識生産を大学が社会的に担っていることに対する還付金である。また、大学などの教育機関が卒業生からの寄付金(基金)により運営されている場合もある。
ところで、大学の起源は、12~13世紀にかけての中世ヨーロッパに遡る(ボローニャ大学とパリ大学)。しかし、発祥の地であるフランスとイタリアにおいて、大学は「キャンパス」を持たない存在だった。 もしかすると、「3.0」の大学組織は、限りなく中世の大学組織の形態に近づいていくのかもしれない。運営の形態には、2つのパターンがあったようだ。ボローニャ大学は、学生が教師を雇って運営していた。パリ大学は、教師が組織した組合によって運営されていた。
約1000年にわたって連綿と続いてきた大学運営のスキームは、「3.0」においては、その持続性が問われることになるだろう。というのは、図表2で示したように、大学が保有する資源のうち、たとえば、研究論文や書籍(図書館の所蔵品)のような情報資源は、情報が社会的に開放されることで、その必要性と優位性を失いつつあるからである。
社会科学の分野の中で、とりわけ実学的な色彩が強い経営学や商学のような分野に関しては、知識を伝授する組織としての大学の役割は相対的に重要性が低下している。マーケティングもそうした分野のひとつである。大学教育の中心は、座学に限定されなくなる。実務教育の重要性が増し、学生がフィールドワーク(現場体験)のような形で研究活動に参画することが、教育の効果を高めるための手法になる。
図表3に示すように、大学(経営学部・商学部、ビジネススクール)は、「1.0」の時代においては社会から分断された組織だった。卒業免状という品質評価だけで、卒業生を産業界に送り出す「窓口」の役割を果たしていた。「2.0」の時代になってから、大学は企業社会との協力関係をどうにか確立できるようになった。ビジネススクールに実務家教員が移籍して、一部の有能な教員は産業界とのパイプ役になった。そして、此岸で発見した知恵や有益と思われる助言を産業界に提供するようになった。
「3.0」の時代では、大学の研究者が主導権を握って、産業社会でビジネス上の知恵を生み出す「コミュニティ」の中心に位置できるよう努力すべきである。その意味では、理科系の学生が実験を通して科学的な知識を身に着けていくのと同様に、「フィールドワーク」(実務研修)がマーケティング教育のメインストリームになっていきそうである。
大学での研究と産業界を巻き込んだ教育の溶融が進めば、「大学を卒業する」という概念そのものが無意味になるかもしれない。筆者が知る限りでも、中世の職業ギルドの制度を残しているオランダやドイツの大学では、数十年前から「職業人生に終わりはない」という認識で大学のカリキュラムが組み立てられている。欧州の大学は、「継続的な知識更新サービス」を提供する場である。社会もそのように大学を見ている。そのとき、マーケティング研究者には、従来とは異なる「プロジェクト・マネジャー」のような能力が求められる。そして、現場から得られる新たな知見(研究成果)と教育活動(現場体験とフィールド・リサーチ)は渾然一体となる。
もっとも、長期的な観点から社会にとって必要な「理論的な枠組み」は、“大学のような”組織でしか生み出せないことに変わりはない。だからこそ、現状の「個人論文中心型」の「研究(者)評価制度」は、見直しを迫られることになるだろう。もし大学の外側でコミュニティが生み出す「チームとしての研究成果」を正当に評価できる組織形態が発明されると、「マーケティングの知3.0」を創造できない大学組織は、根本からその存在意義を問われかねないのである。
<この付近に、図表3を挿入のこと>
7 追記: 実務家的な研究者としての挑戦
この10年間で、わたしは、大学内で複数の学部・学科と新しいタイプの大学院の創設に関与してきた。最終的な業績評価はまだ先のことになるだろうが、それらは、学問的な知識を実務と教育が交差する場所で検証するための新しい組織である。他方で、大学の外では、日本の花産業のセンターとなるふたつの組織(「日本フローラルマーケティング協会」とその関連会社「MPSジャパン」)を立ち上げている。
大学と実務にを橋を架けるこのような活動を実施しているのは、理論が示唆する解法を現実の経営課題に適用するためである。「使命の二重性」という制約を克服するために、わたし自身は、教育機関と民間組織の両方に同時に所属している。両者を仲介しながら、多くの時間とやや複雑な手段を講じて、学生たちを企業の実習現場に投げ込んでいるのである。そうしたフィールドワークの実践から、石井先生が「3.0」で想定している共同作業により生み出された企画や商品の一部はすでに成功を収めている。
開学から10年の成果が実って、大学院生の卒業プロジェクトからは、新しいビジネスが生まれている。教育研究と企業経営の相互学習の場において、マーケティング理論が検証されているのである。教育的研究の果実をどのように大学が享受すべきかの道筋が見えていないことが課題ではあるが、まちがいなく、そうした共創の場所から生まれている成果はコミュニティの産物である。
<図表> 省略
<注>
・石井淳藏(2013)「マーケティングの教育と研究,その来し方,行く末」『季刊マーケティング・ジャーナル』127号、 ~ 頁。
・ 「マーケティング・サイエンス」の定義については、古川一郎・守口剛・阿部誠(2011)『マーケティング・サイエンス入門:市場対応の科学的マネジメント(新版)』有斐閣。
Montgomery, D. B. (1985), “Toward Decision Support System for Strategic Marketing,” in H. Tomas and D. Gardner (eds.), Strategic Marketing Management, Wiley. Little, J. D. C. (1979), “Decision Support Systems for Marketing Managers,” Journal of Marketing, (Summer) .
・陸正(1988)『マーケティング情報システム』誠文堂新光社、46頁。
・小川孔輔(1999)『マーケティング情報革命』有斐閣。
・参考までに、留学当時のわたしのビジネススクールでの経験を示すことにする。カリフォルニア大学バークレイ校で筆者のホスト教員だったD・A・アーカー教授が、わたしが日本に帰国した直後の1994年に書いたStrategic Market Management(邦訳:野中他訳『戦略市場経営:戦略をどう開発し評価し実行するか』ダイヤモンド社)を著すことになる。本の中に登場している事例の多くは、マーケティングのクラス(マーケティング戦略論)でMBA修士の学生がレポートしていた事例である。また、取り上げられているケースの多くは、アーカー教授が教室に招聘した実務家の講義や、その後に彼が独自に取材した情報に基づいて書かれている。
・詳しくは、「サービス生産性協議会」のHP(http://www.service-js.jp/cms/index.php)を参照のこと。JCSIは、①顧客期待、②知覚品質、③知覚価値、④顧客満足、⑤他者推奨、⑥再利用意向の6つの指数により、企業・ブランドのサービスを多面的に評価できる診断システムである。特徴としては、①業種横断的な比較分析ができること、②満足・不満足の原因と結果を分析できること、③評価データ(6指標)を用いて個別企業の経営改善に活用できることがあげられる。
・講演内容の要旨は、小川の個人ブログ(2010年7月11日)に掲載されている(https://www.kosuke-ogawa.com/)。
・筆者は、実務的ではないリサーチを全く否定しているわけではない。こうしたアプローチとは対照的に、必ずしも実務的と言えないかもしれないが、ビジネスの役に立つ上質な消費社会学の研究もある。たとえば、松井剛(2013)『ことばとマーケティング:「癒し」ブームの消費社会学』碩学社などは、そうした優れた研究のひとつである。ビジネスの世界は、研究成果について直接的なベネフィットを求めているわけではない。リサーチャーがビジネスの現場に興味を持ち、そのことが豊かなインプリケーションをもたらすことが重要なのである。
・JCSIについては、小野譲司(2010a)『顧客満足(CS)の知識』日経文庫、南知惠子・小川孔輔(2010)「日本版顧客満足度指数(JCSI)のモデル開発とその理論的な基礎」『季刊マーケティング・ジャーナル』第117号、に詳しい。また、実務的なCS指数の活用については、日本経済新聞社(2012)「新生JALの顧客満足経営」『日本経済新聞』(8月30日)で、JALの植木会長と小川の対談記事が参考になる。
・中世の大学は、キャンパスを持たなかった。授業は教会や家のように場所が使える所ならどこでも行われ、大学は物理的な場所ではなく、学生のギルドと教師のギルドが1つにまとまった組合団体として互いに結び付けられた諸個人の集まりだった。この呼称で知られる高等教育機関としての大学は、まさに中世のイタリアから始まったものであり、それ以外の世界各地にあったという古代の教育機関とは直接の派生的な関係はない(ウィキペディアの「大学 (universitas) の歴史」より)。
・日本の花産業の革新を記録した書籍が、2013年4月に誠文堂新光社から刊行される。小川孔輔(2013)『フラワーマーケティング入門』誠文堂新光社。