ファイヤーファイター(救援投手)、二年間の通信簿

 自分で創設した組織を除くと、組織の長を任されるのはいつも突然である。二度も(1992年と2009年)、大学院専攻主任(校長)を任されたが、どちらも組織が危機に瀕していたときである。経営学部長(2002年)に就任したときも、学部長候補の橋本教授が急逝したためであった。



 そのことに文句を言っても仕方がないが、わたしは、究極の「ファイヤーファイター」(救援投手、火消し役)らしい。登板のタイミングや相手を知らされないまま、その場で考えながら、投げる球を決めなければならない。
 いつものことだ。そう思って、しかし、本音のところでは、「このやろー」とつぶやきながら、マウンドに上がって球を放っている。味方のエラーは多々あるが、そんなことに文句を言っても始まらない。戦況はたいがいかなりよろしくない状況での登板なのだ。
 敗戦処理をやらされることもある。でも、たいていは、ゲームに勝利してきた。こちらが辛抱しているうちに、相手がこけてしまうことが多いのだ。あるいは、大雨になって「ノーゲーム」になったりする。

 そんなわけで、これまでは、どうにか急場をしのげてきた。火事場にはめっぽう強いほうである。高校、大学、大学院、助手から教授に昇進するプロセスでは、一度も試験に落ちたことがない(本当は、負けた試合や落ちた試験のことなどを、すべて忘れてしまう都合の良い性格なのです)。
 研究プロジェクトの運営などでも、資金的に困ったことがない。お金が天から降ってくるのだ。そして、こちらに金やチャンスが向いて来ないときは、たいがい、それはまずいプロジェクトである(取り組まないほうがよかった!)ことが、後になって判明する。きわめつけに、運の良い人間である。
 たぶん、見切りが早いこと(冷たくて、クールだともいわれているらしい)、そして、不運な状況に陥っても希望を失ったりしないからだろう。急な火事場でも、比較的焦らない性格だからだとも思っている。
 
 さて、2010年に、急きょではあるが、IM研究科の専攻主任(校長)に就任することになった。選挙で選ばれたのだから、もう致し方がない。逃げる方策は全くなかった。
 その他、JFMAの組織改革や個人的な研究のために、やるべきことが山ほどあったタイミングでの登板であった。58歳である。残された時間を、本当は自分のために優先して使いたかった。
 校長への就任時、この組織は、多くの問題を抱えていた。応募者の減少、カリキュラムの魅力度低下、複数のコースがあるための教育の混乱、教員・講師の意欲低下など。中長期的な問題というよりは、目先の課題を片づけることに汲々としていた。

 そんなときに優先して考えたのは、長期的で高邁なアイデアを出すことではない。もっと単純で地に足がついたことを実行することだった。つまり、大学院組織の業務運営システムを正常な形に整えることだった。
 一晩ぐっすり眠って考えた。これも天命なのだろうと、自分を納得させた。そして、二年間の任期中は、新しいことには一切着手しないと決意した。
 わたしがもっとも苦手とする、「業務システムの標準化」だけを考えた。やらないことを先に決めて、優先順位の高い目標だけにやるべきことを絞り込んだ。

 以下は、本日、大学院専攻教授会で、二年間を総括するために配布される資料である。内部資料ではあるが、外に出しても差しつかえない程度のものである。
 二年前の決断にしたがって、粛々と業務改善を行ってきた。その成果である。たぶん成績として80点である。残念ながら、「A+」の評価はいただけない。でも、落第ではない。それでよいのだ。だから、課題を残していく。
 来年度以降は、藤村君が専攻主任に就任する。彼は、わたしのIM研究科共同設立者(準備委員長、初代校長)である。つぎの展開は、藤村教授に託される。わたしは校長の任期を終える。
 新しいことに全く取り組まず、現状を改善することに集中できたことに、いまは満足をしている。やりたくとも、やるべきでないことを絶対やらないことができた。これまで、案外できなかったことである。ずいぶんと我慢強くなったものだと思う。

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「専攻主任、二年間の総括」
 2012年3月1日 IM研究科専攻主任 小川孔輔

1 二年間で達成できたこと(*は課題あり)
(1)運営システムの確立
 ・プロジェクト運営、グループ指導制(A・B)、主査・副査の役割
 ・年間スケジュール
 ・女性教員比率の上昇(客員D、客員Bの増加*)
(2)入試広報活動
 ・入学者女性比率の向上(10年度15%→12年度28%)
 ・企業推薦入学者の拡大(*)
 ・女性向けセミナーの実施、募集セミナーへの特化(*)
(3)定年制度の承認
 ・65歳定年制の実現と理事会交渉
 ・客員教授の任期制(3年×3回=9年で定年)
(4)卒業後のアフターフォロー
 ・IM総研の設立
(5)その他
 ・論文審査の方法変更
 
2 着手・実現できなかったこと
(1) 教員の若返り
(2) 募集関係
 ・入学者数の増加(10年58人→12年48人)
 ・後継者育成コースの設定・IT関連の入学者増加
(3) IMとしての事業収入
 ・例:中小企業診断士の資格維持講座、エグゼクティブセミナー、地方出張セミナー
(4) エリートプロジェクト
 ・IMプロジェクトでのIPO、VCへの売り込み
(5)静岡SCの運営改善
 ・福岡サテライト校の提案(川崎君)
(6)MBA特別コースの独立
 ・例:二年制コースの設置、合格前診断士コースの設定(二年制から一年制への転部)

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