マス広告のパワーは本当に落ちてしまったのか? 対照的な存在としてのパーソナルメディアの未来は?

 ブログを始めて12年になる。書き始めが2000年の1月だったから、世の中では個人ホームページがまだ珍しかったころのことである。その後、個人ブログが一般的になり、ミクシーなどのSNSから、いまやツイッターやフェイスブックが主流になっている。

 個人の情報発信が容易になった分だけ、テレビや新聞などのマス媒体の影響力が弱まっているように見える。自分自身もいまやテレビはほとんど見ない。そして、以前ほどは、新聞記事をこまめに読まなくなった。日本経済新聞の宅配は、わが家では12月をもって一時的に中断している。ビジネス誌などからの情報収集は、携帯電話からのWEB閲覧に代替されている。そうなると、メーカーが販売している商品やサービスのCM広告は、無駄なようにも感じられる。
 しかし、事実はそうではない。昨年12月に「マーケティングサイエンス学会」(第90回全国大会@電通汐留)で発表した「震災後の無広告状態が、広告想起率と商品の実売にどのように影響したか?」(木戸、鈴木、北中、中村、小川)の研究成果によると、短期的にも、テレビ広告は「CM想起」と「実売」に有意な影響をもたらしている。われわれが直感的に思っている以上に、テレビCMを見たことが店頭での購買に大きな影響を与えていたのである。

 SNSなどのパーソナルメディアは、個人間での素早い情報伝達を促し、メディアの効果を増幅したり減衰させたりする中間プロセスに介在している。まさに、「ミディアム」として個人間で情報を媒介している。しかし、中小企業の商品やサービスを除けば、起点としての情報発信力はそれほどでもない。結局、素材となる商品・サービスの魅力度と品質が悪ければ、情報伝搬の効果は一時的にとどまる。それは、われわれが日常生活の経験からもよく知っていることである。
 個人メディアの経済面からの影響力は、したがって、実はかなり限定的であることが、しだいに明らかになりつつある。「限界効用逓減の法則」そのものである。そして、その効果には不確実性が伴う。大きな投資は必要ないが、勝負をかけるときにはあまり頼りにはならない。大手メーカーやサービス業はそのことに気がつき始めている。
 もっとも、社会政治的な影響力の程度となるとまた別の話である。SNSの社会的なインパクトは、情報投入コストがほとんどゼロだから、評価には別のモデルが必要だろう。

 ここから先は、預言である。2~3年以内に、ツイッターやフェイスブックは、現在の勢いを失ってしまうだろう。場合によっては、グーグルやヤフーも、いまのような形で存続することは難しくなりそうだ。その理由は3つである。

 ひとつめは、マスメディアとの経済的な効果の差が、明らかにされ始めているからである。わたしたちの研究で実証されたように、投入コストが大きいとはいえ、テレビCMなどのマス広告はいまだ健在である。しかし、大規模なSNSメディアは、新しいイノベーションに対してはきわめて脆弱なのである。
 ある調査によると、フェイスブックもグーブルも、そして、アマゾンでさえも、特許や独自のデザインや仕組みで参入障壁を築いているわけではない。顧客基盤が唯一の差別化要因である。ネットブランドを支えている顧客基盤は、実はそれほど強固なものではない。コンテンツ(物的な商品や特別なサービス)に差別性があるわけではないので、より魅力的なメディアが、安価にそして便利になって登場すれば、競争対応は困難になる。

 二番目は、社会的なコストに対して、システムの維持コストが過大になると予想されるからである。たとえば、個人情報の管理に対して、しばしば情報漏えい事件が起こっている。顧客基盤の強みは、ひるがえって考えれば、余計な個人情報を抱えていることの弱みである。
 「知らないこと」が強みにもなる。つまり、漏えいしては困るような情報をベースにビジネスが組み立てられていないほうが、強い事業なのである。ふたつの選択肢があったとして、個人情報を捨てて利益率が落ちても、それでも商売が成り立つほうをわたしは好む。
 個人情報の管理コストとそのためのリスクは、この先はかなりシビアになるだろう。防衛のための手段と対処方法は、いまのところ存在していない。

 第3に、個人情報の開示問題である。通常は、個人がネットにプライベートな情報を開放するときは、ミクシーやツイッターなどの情報管理組織に対して、「パーミッション=許可」を与える。そのときに、開示してもよい情報がどこまでの範囲なのかは、実は法的にはそれほど明確ではない。
 そのことに気が付いている組織は多いはずである。しかし、現実は、かなりあいまいなままにパーミッションを与えて、個人データを提供しているのではないだろか?
 この事実は、いつか大問題になるとわたしは考えている。とくにGPSが普及してきているので、グーグルのような特定の組織が、世界中の個人情報を一元的に管理できるのでと、警察機構よりも詳細な個人情報を把握できることになる。いや、実際にもそのようになっている。FBIや米国司法当局は、グーグルから個人情報の提供を受けているはずである(中国共産党が絶対にグーグルの存在を許さない理由である)。
 そうした個人情報の一部は、すでに裏の世界で売買されている可能性がある。たとえば、銀行の借入金に関する個人情報が、銀行間信用ネットワークで共有されていることは誰しも知っている。住宅ローンを借りるとき、審査のために源泉徴収票や所得証明書の提出を求められる。それと同じことが、個人情報の世界ですでに起こっている。
 このごろ、やたらとハッキング事件(悪意による情報漏えい事件)が多いと思わないだろうか? わたしたちが直接関与していない場所(市場)で、個人情報が取引されている兆候だと考えれば、これはつじつまがあう。

 わたしは、ミクシーもツイッターもフェイスブックも、そしてLINKEDINからのお誘いもお断りしている。米国系の「情報資本」に、個人のプライバシーを暴かれているようで気持ちが悪いからだ。直感力には自信がある。わたしの推論は正しいだろう。
 それでも、仕事のために、グーグルやアマゾンでは検索を日常的にかけているから、わたしの個人的な趣味や関心、仕事の中核部分は「見えない組織」に把握されている。
 もはや逃れようのない立場にあるわたしたちのプライバシーは、誰が守ってくれるのだろうか? 数年以内に、個人のプライバシーを情報面から保護しようとする民間組織が立ち上がるだろう。
 そのとき、本稿で触れたような「個人情報の使用許可(パーミッション)」に対する放置状態(ご都合主義)が指弾されることになるだろう。プライバシーがないに等しい状態にわれわれが置かれていることは、実はかなり深刻な問題なのだと、まだほとんとの人が気が付いていない。