【ランナーでない方も読んでみてください!】 隅田川沿いに東京の下町を走る

 昨日は、ランナー仲間と東京の下町を走った。駅のコインロッカーに荷物を預けて、隅田川沿いの側道を14~15KMほど。門前仲町から清澄通りを抜けて、最終ゴールは聖路加タワーである。暑くもなく寒くもない。さわやかな15Kランだった。



 隅田川の側道は、駒形橋の付近から豊洲の辺りまで延々と続いている。川の両岸に並行して約10KM。その名も、「隅田川テラス」と呼ばれている。昨日はじめて知った名前なのだが、この側道は、犬の散歩やジョギングに適している。
 竹芝桟橋から浅草まで、隅田川に沿って観光客を運ぶ水上バスから、しばしばこの舗装道を眺めていた。起伏もほとんどなさそうで、緩やかに蛇行している道の様子を見て、ランナーには走りやすいコースだと思っていた。
 しかし、実際に走ってみると、ジョギングにはやや不便な点があることに気がついた。というのは、隅田川のところどころには水門があって、気持ちよく走るには、それがスムースな走りの「障害物」になるからである。
 水門があると、ランナーは隅田川テラスからいったん、一般道に出なければならない。戻ってきてからまたテラスを走りはじめるのだが、走りのテンポが元に戻らないのだ。

 川沿いを走っていると、ランナーならではの気付きがある。わたしも、東京の町をふだんは車か電車で移動する。だから、小さな路地や古くからある隠れた街並みを見ることはほとんどない。
 そんなところに車が入り込むことはないし、通勤や仕事で街を歩くときは、効率優先で最短コースをとって歩くからだ。必要もない道を歩いて、偶然の風景に出くわす確率は低くなる。
 数年前から、そんなわけで、意識して「町走り」(まちばしり:造語)を試みている。「町歩き」(Town Walk)の派生語のつもりである。偶然に出くわす風景は、実におもしろいのだ。とくに、東京の下町には、目立たないながら、古くからの町並みがまだ残っている。
 わたちたちランナーは、東京のようなフラットな街ならば、かなり遠回りをして走っても一向に疲れない。10キロや20キロ程度なら、どこまでも走っていける。下町の路地裏に入ると、戦前からのものと思われると古い住宅や街並みが残っている。すこし迂回をすれば、「昭和」が目の前に開けてくるのだ。

 昨日は、永代橋の下を潜って清澄橋を過ぎたところで、小さな水門が現れた。墨田川テラスは、そこで行き止まりになる。側道を離れたわたしたちは、「中央区湊1丁目」と住所表示のあるブロックに迷い込んだ。新川の「新日鉄エンジニアリング」のビルの先を少し曲がった場所である。
 まるで、古い映画の撮影現場を見ているようだ。デジャビュー(既視感)である。小さな町角のいたるところに、二段式のパーキング設備が、赤さびて朽ち果てている。ある種の懐かしさと哀しい思いとが交錯する。
 「中川」とか「小林」と書かれた表札は、時が風化させたのか、文字が消えかけている。そして、立体駐車場だった区画の後ろの家は、窓ガラスの一部が割れかけている。ガラス窓を補修テープでマスキングをしているが、総二階建ての家の中に、人が住んでいる気配はない。
 静かに死にかけている町。かつては商店街だったのだろう。日本全国にウイルスのように広がっている「シャッター通り」の先には、こんな「ゴーストタウン」が出現するのだろうか?
 
 この町で暮らしていた老人たちは、墓石の下に潜ってしまったにちがいない。朽ちかけている家屋を継承した子どもたちは、高額な相続税を払えないでいるのではないだろうか。だから、大手の不動産業者に地上げされるか、東京都や中央区にでも現物で上納されて、湊地区は人気のない街に変貌したのだろう。
 古い町並みとはいえ、二区画も行けば、八丁堀駅。近くには、ドクター日野原がいる聖路加病院もあるのだ。バスに10分も乗れば、そこは東京駅である。地価は間違いなく、相当に高い。

 湊2丁目の狭い小路を抜けると、プラタナスの並木道に出る。むかしは繁盛していたのだろう。商店街に店を構えている数軒だけは、いまも店をたたまずにいるようだ。日曜日だから、町はひっそりとしている。客はひとりも見かけない。
 空を見上げると、対岸には、近代的な高層住宅が並んでいる。30階建て、40階建てのビル。豊洲にある住宅用高層マンション群だ。友人たちの何人かは、あの塔のどこかで暮らしている。林立するビル群の向こう側には、下町の新しいシンボル、スカイツリーが起立している。
 中央区は、東京のど真ん中だ。この場所からは、古い東京と新しい東京が同時に眺められる。ランナーとして走らないと、こんな風景にめぐり合うことはない。
 わたしたちは、隅田川沿いに川を下っただけではなかった。しばし時を遡って、戦後すぐの人々の暮らしと、昭和の街並みの抜け殻を見ていたのだ。