9月卒業のための「学位授与式」は必要か?

 法政大学としてはじめて、9月卒業生のための学位授与式が実施された。わたしは、専門職大学院の運営委員会議長なので、卒業証書授与のために、式の壇上に上がった。場所は、日本武道館ではなく、大学構内のさったホール@外濠校舎である。

 授与式には、全学部長と大学院担当議長が出席した。学生は、130名ほどだった。思っていたよりも多い数である。留学などの都合や、学位論文の審査がずれこんだからだろう。なかには、もちろん、期末試験で落第というケースもあるだろう。
 とにかく、百数十名のかたには、「おめでとうございます」と言ってきた。親御さんはたいへんだったろうね。(笑)わたしなどは、単位不足の揚句に、都内の某大学を中途退学した息子をひとり抱えている。

 めずらしく増田総長の講話を聴く機会に恵まれた。世間の噂よりも、話は上手だと感じた。総長になる前、いつも市川あたりで酔っぱらっていた増田さんしか知らない。だから、正直、安心した。
 それはさておき、東大で秋入学が検討されている。その他の大学でも、9月卒業・10月入学が話題になっている。国際化のためらしいが、それほどしてまで、「桜のころの卒業式や入学式」をやめるメリットはあるのだろうか?
 耳触りの良い建前だけで、話は進んでいるのではないか?儀式の実施には、目に見えないコストがかかるのだ。

 年間二回も、卒業・入学式を繰り返すくらいなら、いっそのこと、セレモニーなどすべてやめてしまってはどうだろうか? わたし自身は、実は結婚式など、大がかりな儀式は時間と労力の無駄だと思っている。自己満足の世界である。
 メリットは、たしかにある。親戚や親子が、久しぶりに出会える場を提供するからである
 しかしながら、大学のセレモニーに関して言えば、たとえば、武道館の卒業式に参加しても、うるさくて、総長や来賓の話など聞こえない。人数が多すぎて、父母や参加が全員入場するときには、祝辞がおわっていたりする。むかしほどの感激もなくなっているようだ。

 今年の入学式も卒業式も、東日本大震災ですべて中止になった。これを機会に、式典の規模を縮小してはどうだろうか?その労力を面接や入試業務にあてる方が、有効のような気がする。天災は、そのきっかけを与えてくれるかもしれない。
 「これが最初の9月卒業の授与式だよね」「いったん始めると、こういうのはやめられないからな」。
 控室でわたしの真向かいに座っていた増田総長と浜村理事の会話である。

 あくまでも噂の話だが、明治大学では、団員が集まらなくて、応援団は壊滅状態らしい。早稲田も似たようなものらしい。応援団やコーラス部がいないと、式典はかなりみっとないことになる。応援団長無しで、どうやって「都の西北」を歌わせるのだろうか? 「おー明治」も様にならないだろう。

 法政大学も、応援団やチアリーダーも、どうもこの頃見ていると、人数が足りなさそうだ。大丈夫だろうか? 「法政、おー、わが母校」と式典で気持ちよく歌えなくなるのも、時間の問題かも。