「日本人の保守化とアジア市場の地理的な広がり」 JFMAニュース 2011年9月号

 今回の巻頭言は、提出が遅れてしまった。JFMA事務局の和田さんと松島専務に、この文章を送ってみている。採用ならば記事は消去される。書き直しだと記事は残る。過激な内容である。日本人の思考の保守化とSNSメディアの悪用に関して、このごろ嫌な気分に浸っている。

「日本人の保守化とアジア市場の地理的な広がり」JFMAニュース 2011年9月号

 このごろとても気になることがある。それは、日本人の国際競争に対する保守的な態度についての懸念である。誤解を恐れずに言えば、たとえば、フジテレビ系列の「韓流偏向報道」に対する社会的な反発や批判の流れについてである。韓流ドラマの番組スポンサーである「花王」に対して不買運動を展開したり、K-POPのサービス輸出国である「韓国」に対して、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを利用して、感情的に「敵国」として誹謗中傷するなど、わたしには気持ちが悪い。
 日本人は、メディアの社会的な機能について、真実を見失いつつある。その一方で、産業的な国際競争ルールに関しては、極端に保守化してしまっているのではないか。具体的に、花業界の例をとりあげてみよう。

 花業界では長らく、オランダ花き協会やオランダ球根組合が、外国市場とくに日本や米国のような大きな市場に対して、多額の資金を投入してメディアの枠を購入し、チューリップなど、自国の新製品をプロモートしてきた。オランダ産の新品種を記事広告として掲載していた花の雑誌は日本にもたくさんあった。販売促進ツールの導入やコミュニケーション施策の実施に対して、「その製品がオランダ産だから」という理由で、日本の花業界人が製品を拒否してきたことはないはずである。
 それどころが、生産者にとっても、オランダ発の新しい品種などは、うれしいコンテンツだった。新しい市場の開拓を約束してくれたし、その過程で一部の国産品が市場から駆逐された。だから、隔離検疫が解除になった90年代から以降、植物の製品革新は、かなりの程度、「外圧」によってもたらされたともいえる。国際競争に対応したプレイヤーだけが、いまでも生き残っている。

 ところが、韓流ドラムやK-POPスター(たとえば、「少女時代」や「KARA」「東方神起」)を特定の局がプロモートすることに対して、ある人たちは大いに目くじらを立てている。もしかして、一般消費者の名前を語った日本の芸能プロダクションの差し金かもしれないのである。仲間のメディアも、この点を指摘しようとしない。これは、タレントの売り出しや映画プログラムを巡っての国際競争の一幕なのである。メディアも、経済的な計算のうえで、広告や番組を企画している。
 日本の自動車・電子産業も、80年代に米国や欧州市場に進出するとき、積極的にロビー活動を展開していた。欧州や米国の議員やメディアに、「有償で」助けてもらったはずである。建前では、メディアは公的な存在であることになっている。しかし、現実はどうかといえば、政治家など(政治家は「政策のプロモートメディア」の一種)も含めて、民間のメディアは企業的に運営されている。完全に中立など、断じてあり得ない。

 しかし、心配することはない。オランダ産球根も、K-POPも、AKB48も、中身が魅力的でなければすぐに消えてしまう。日本の消費者は、素人っぽいAKB48を支持するのか、国内市場が小さいので、アジアを舞台に競争力の強い技能(ダンスや歌唱力)を訓練されている「少女時代」や「KARA」に投票するだろうか。
 気を付けなければいけないのは、日本の消費者や企業が、アジアをひとつの市場として見ているかどうかである。この問題は、早晩、国際競争力の源泉をどこに求めるかに関係してくる。近視眼的に、あるテレビ局やひとつの企業の問題ととらえてはならない。企業やメディアのアジア市場に対する態度が問われているのである。
 日本人の立ち位置も同様である。保守的にものごとをとらえても、国民経済と民間産業に未来はない。その点では、日本はすでにアジアという「グローバル市場」に組み込まれている。保守派は、現実を直視すべきである。