文献紹介: 田中成省(2009)『ワタミの理念経営』日経BP(★★★★★)

 ワタミの本社に、本日は伺うことになっている。『ブランド戦略の実際』の改訂作業のためである、第6章「事業ドメインの変遷」を、ソニーからワタミに変えることにした。ソニーをワタミに変更することには、象徴的な意味がある。

 日本の経済も、気がついてみれば、製造業からサービス産業に主役が交代している。それに気がつかないのは、一部の研究者だけである。ブランド論も例外ではないだろう。
 日経文庫の初版では、ソニーの井出伸之常務(後に社長就任)に法政大学の経営大学院で講演をしていただいた。ぞのときの講演をそのまま文庫本に組み入れて、大目玉を食らった。 
 「無断借用ですよ」というご指摘だった。たしかに、章末に「出井氏の講演による」とクレジットは入れたが、原稿そのものはお見せしてはいなかった。これは、こちらの落ち度だった。
 ソニーの常務さんから抗議の手紙をもらい、恐縮したことを覚えている。内容も書き直したように思う。もう昔のことで、すっかり忘れていた。その記録をここに残しておく。
 
 さて、ワタミ経営については、社員教育用のテキストだった田中氏の著作が、内容的にすばらしくよく書けている。さすがに20年間近く、ワタミという会社を追いかけてきた元記者が著しただけのことはある。
 飲食チェーンとしての創業の歴史。「地球上で一番たくさんの”ありがとう”を集めるグループになろう」というスローガンが生まれた瞬間とその背景が、本書からは非常によく伝わってくる。
 本書は、ワタミの広報部から、本日の取材を前にしていただいたものだ。インタビューがなくても、本書のエッセンスで、ワタミの事業領域の変遷が書けてしまっている。
 全体でわずかに3~4ページ分だから、アシスタントの青木恭子のしごとがなくなってしまった。ごめんなさい。青木さんへは、仕事をなんとか作ります!
 
 準備のために読了して、とくに、巻末の「歴史年表」が貴重な史料(資料)であることがわかった。これをまとめるのが、青木さんの仕事になるのかな? ワタミの第一期は、外食産業を企業ドメインとして選んだk時代(創業のころ)。第二期は、飲食業で成長を続ける時代。そして、第3期は、飲食業以外への事業多角化の10年間である。
 わたしの日経文庫の内容で、本書にはないオリジナルの部分がある。ワタミの第3期(事業多角化)をドライブしたものは、偶然からの展開であったことだ。神がかり的な事件が起きるのだが、ワタミの多角化はふたつの道筋から起こっている。歴史的な分析によるものだが、その種は、1990年代の後半に播かれていた。

 ひとつは、垂直的な事業展開に関係している。2000年に、モスフード(櫻田社長)やサイゼリア(正垣社長)とともに、ワタミは安心・安全な食材の調達に乗り出す。
 わたしの知る限り、このころに、新規参入の起業家仲間とともに、渡邊会長は有機野菜などの調達を研究している(2002年ごろに、わたしも有機食品の流通を研究し始めたので、その調査過程でこの事実に知ることになった)。
 ワタミ独自の動きとしては、その同じ年に、株式会社安心安全食卓研究所を設立している。手作り感を大切にしながら、食材の加工効率を上げるために、2002年には、ワタミ手作り厨房株式会社を設立して、埼玉県越谷市で集中仕込みセンターを稼働しはじめる。これが、ワタミがMD(加工事業)と呼ばれるコミッサリー(プロセスセンター)をはじめる第一歩である。
 2002年には、安心安全食卓研究所の業務を引き継いで、千葉県山武郡に有限会社ワタミファームを設立(2003年に、株式会社化して農業生産法人に組織変更)。有機野菜の生産に乗り出したのは、既存の流通ルートからでは、有機野菜の安定的な調達が困難だったからである。また、経営理念と関係して、飲食業で働く従業員を、農業体験させるために自社農場が必要だったという事情もあったのだろう。
 
 もうひとつの道筋は、経営理念から発した事業展開である。「地球上で一番たくさんの”ありがとう”を集める」、つまり「感謝」される事業の典型が、介護と教育である。渡邊の実体験から生まれたものだった。「ありがた」には、存在が難しい(困難)にチャレンジする意味もある。社内で渡邊がよく話すエピソードだそうだ。
 2004年のワタミメディカルサービス(株)の設立で、訪問看護・在宅介護事業に参入する(大阪府岸和田市)。翌年の2005年には、株式会社アールを買収、本格的に介護事業を展開しはじめる。これも、「ありがたい事業」だ。つまり、官業ではサービスが不十分で、民間にはやりづらい仕事である。それをあえて選んでいるところがある。

 宅配事業(ワタミタクショク)や環境事業(ワタミエコロジー)は、この二つの流れにさらに有機的に関係する事業として展開されている。いずれにしても、飲食業での多店舗展開が、理念経営からの事業と垂直的な事業展開とうまく絡み合っている。
 もしかすると、飲食業一歩足のままでは、近年のような成長はきびしかったかもしれない。新規事業によって、ワタミのブランド全体が補強されている。グループ事業がうまく関連しているのが、いまのワタミの姿である。