忘れていた池の白鳥のこと、地震の日にユーラシア大陸の故里へ飛び立つ

 大震災のあと、調整池の白鳥のことを忘れてしまっていた。そういえば、朝がたに甲高い鳴き声を聞かなくなっていた。311以来、外を走ることもなかったので、白鳥たちが旅立つ日のことをすっかり忘れていた。


さきほど、2週間ぶりに池のまわりを走ってきた。ほんの一周である。白鳥の姿は見えない。
 今年は、シベリアから21羽が清水口の池に飛来してきていたはずである。近くの沼と多少の出入りがあるらしい。正確な数はいつもわからない。
 「白鳥の会」の掲示板に、白鳥たちのその後のことが書いてあった。
 「3月11日の地震に驚いた19羽は、そのまま故里へ飛び立ったようです。残りの2羽も、3月13日には、ユーラシア大陸にむけて、飛び立ちました」

 この間の餌の補給(くず米をあげている)やルアーの事故(釣り道具を白鳥が飲み込んでしまったらしい)について説明書きがあった。「また来年の飛来を楽しみに」と、白鳥たちへの感謝の言葉が述べられていた。
 3月の中旬から下旬にかけて、そろそろ飛び立つ頃だった。白鳥たちにとっても、震度5の地面の揺れは驚きだったようだ。二羽を除いては、そのまま池に戻ってこなかったようだ。
 全員がいなくなったのが、3月13日である。わたしたちも、地震の後始末のため、右往左往していたころだ。知らぬ間に、鳥たちは去ていった。
 毎年のことだが、白鳥がいなくなると、どことなくさみしくなる。学生たちの卒業時期と、ほぼ同じころに当たっているからだろう。3月は皆が去っていく、別れの季節だ。そして、桜の季節がやってくる。
 地震に驚いて飛び立った白鳥は、来年もまた調整池にやってくるだろうか。もしかすると、自然界に永遠はないのかもしれない。来年11月の再飛来を心配している。白鳥が池に飛んでくるようになったのは、10年前のことである。ごく最近のことだ。

 東北地方の地面は、大地震で3,5メートルほど東に移動したらしい。地面は揺れて、ほんとうは動いてしまうのだ。わたしたちは、熱いマグマの上のうすい皮の上で生活している。地震大国に住んでいたはずなのに、日本人はそのことを忘れてかけていたようだ。
 絶対的な安全や安定など、この世にはないのかもしれない。わたしたちのご先祖様は、自然災害と向き合って生きてきた。だから、地震や台風に対する心の準備をしていた。人知は、自然の前では無力であると。地震、雷、火事、親父。一番先にくるのが地震だ。
 現代に生きる日本人は、不遜だった。その結果、いま羅針盤を失いかけている。この不安の根源には、「地面が動いてしまう」という不安感と、ゆるぎのないと思っているものでも、思いのほか簡単に崩れてしまうのだ、という不安定感が潜んでいるのではないのだろうか。