20年前(サンフランシスコ大地震)に運命を分けた瞬間: 本日(3月14日)も自宅で待機しています

 IM研究科の固定電話がつながらない。余震がまだ続いているので、自宅で仕事をしている。出勤すべき校長先生の立場なのだが、学校行事は終わっている。帰れなく可能性もある。市谷近くにお住まいの石島先生(副主任)と久留宮くんに、現場対応は任せている。


JFMAのほうは、東北の生産者や市場関係者、農協や小売店のかたの安否を確かめている。家屋・温室の被害は甚大だが、いまのところ、不幸な知らせは届いていない。事務所にいる松島さんと津田さんに、引き続き、HPを通して会員の安否を確認するように頼んでいる。

  このPCも、自宅の電源が落ちてしまえば、使えなくなる。千葉県白井市は、本来は、午前中の輪番停電第1グループだったたらしい。らしいというのは、実際は停電が保留状態になったからである。
 関西に住んでいる子供や都内の友人たちから、頼んでもいないのに、白井市の停電時間とグループ分けを知らせてもらった。しかし、停電時間の情報が間違っていた。せっかくメールでいただいていたのにである。
 わたしは早めに寝ていたので、停電情報とは最初から関係がなかった。当てにもしていなかったのだが、起きてみたら、明るかった。昼間まで、ベッドでごろごろするつもりでいたのだ。

 全国各地から、心配のメールや電話をいただいている。逆に、わたしの友人で、東北地方にいる研究者やビジネスマンで連絡がついていない人たちが複数いる。東北大学の照井先生、アイリスオーヤマの方たち(岡本元室長、倉茂さん、大山社長)が心配である。
 危機に遭遇すると、さまざまなことを学ぶことになる。津波から逃れてきたひとたちの話は、実にリアルである。その反対に、不幸にも行方がわからない人たちが、数万人規模にも及びそうだ。運命の数分を分けるものは、いったい全体なになのだろうか?

 ときどきいまでも、むかしを振り返ってみることがある。1989年は、天安門事件があった年でもある。同じ年にサンフランシスコ大地震が起こった。その前夜に、レンタカーでベイブリッジを渡ったのである。これまた偶然だった。
 オークランドからサンフランシスコ湾に延びたフリーウエイは、翌日に地震で大崩落を起こした。ボランティアの救助隊が出動したことは、記憶に新しい。アメリカ人の勇敢さが目立っていた。

 地震の当日は、つまりは、サンフランシスコ湾を渡った翌日は、東海岸で学会に参加していた。学会の発表が終わった直後に、ニューヨークのホテルで、サンフランシスコの惨状を聞かされた。家族4人を、カリフォルニアのバークレイ市に残してきていた。前日に、ひとりでNYへ飛んだのだった。
 地震の瞬間、わたし以外の家族4人(妻、長女、長男、次男)は、オークランドのフェアモントホテルで、昼寝をしていたらしい。当時のわがやの経済状態からすると、とても贅沢なグレードのホテルだった。
 わたしが日本語を教えていたマギー・レブハムさん(カリフォルニア大学の元秘書)に頼んで、立派なホテルに宿泊させてもらってから、安全だったのだ。そのラッキーにも感謝した。

 日本国内はやきもきしていたらしいが、家族の無事はすぐに確認できた。もしレンタカーをそのままバークレイに残してきたら、と思うとぞっとしたものである。
 家族には足がなかったのだ。車で自由にサンフランシスコ市内に出かけられなかった。そのことが幸いしたのである。
 考えてみれば、わたしもラッキーだった。大地震に遭遇しなかったのは、わずか18時間の差である。高速道路で橋げたが落ちて、そのまま瓦礫の下でぺしゃんこにならずに済んだ。
 これこそが神のみぞ知るの偶然である。学会発表の日(セッション)が、単に一日早かったからだった。3日間の学会で、最初の日に発表が北ので助かったのだ。
 オークランドのフリーウエイの上で、地震の揺れでハンドルをとられていたかもしれない。人間の運命は、実に数奇なものである。唯一の日本人被害者になっていた可能があったのだ。

 いま避難所で、たくさんの人たちが不便な生活をしている。東北の人は我慢強い。しかし、肉親を失ったり、友人知人が行方不明だったりしている。いまの気持ちを思うと、とても辛くなる。
 困難な状況にはあるが、とにかく生き残ることができたひとたちだ。20年前のわたしと同様に、それでも、不幸中の幸いなのかもしれない。ぜひとも、この困難を乗り越えて、がんばっていただきたい。
 人間は、所詮、今回のような大自然の力に、あがなうことができない。わかっていたつもりだが、そのことを再度確認したところである。

 日本の復興には、まだかなりの時間がかかりそうだ。
 先ほど、本日の株式市場の相場を覗いてみた。朝10時の時点で、日経ダウは1万円を割り込んでいた。しかし、心配していたような大暴落(平均10%以上のダウン)は、いまのところ起こっていない。
 先週比で600円程度の安値は、日本経済の状態を考えると、許容の範囲である。建設土木株などは、30~40%も暴騰する会社もあった。
 世界の人々(投資家)は、日本をどのように評価するのだろうか? 株式市場の動きは、ひとつの目安ではある。午前中の値動きを見ると、それほど悲観したものではないように思う。

 ふたたび、校正の仕事に戻ることにしよう。それでも、時間は刻々と過ぎていく。