半年振りで、電車を乗り過ごしてしまった。都営新宿線の市ヶ谷駅を通り過ぎて、次の駅の曙橋まで。自分でもよくわかるのだが、わたしが電車を乗り過ごすときは、身体的・精神状態に特徴がある。乗り過ごしは、ふたつのケースに分類できる。
ひとつの典型は、昨日のように、書籍や原稿、資料の読み込みに集中しているときである。我を忘れているので、電車が目的の駅に着いていることに気がつかない。東日本橋や浅草橋(上京時、通常時)など、乗換駅でこれはよく起こる。
もうひとつの代表的な形は、深夜に起こるパターンである。
皆さんも経験があると思うが、アルコール過多による乗り過ごしである。実際は、本人はまったく意識がないので、寝過ごしてしまう。この場合は、酔っ払いの状態で、最終駅の手前で気がつくか、終点まで行って駅員さんに起こされる。
しばしば、アルコールがないときでも、極端にしごとがハードな場合(寝る間のない状態)に、これが起こることもある。
このパターンの乗り過ごしは、いったん起こってしまうと癖になる。忘年会シーズンなど、連日連夜になることもある。昨年は、3日連続ということもあった。これからの半月は、とくに気をつけないといけない。
わたしの場合で、いちばんひどい経験は、都営新宿線で3回ほど、東日本橋の駅を中心に、行ったり来たりしたケースである。2年ほど前だったように思う。体力的にも精神的にも、あのときは、もっとも厳しい状態にあった。テキスト『マーケティング入門』の執筆と、雑誌連載「小川町経営風土記」(『チェーンストアエイジ』ダイヤモンドフリードマン社)がスタートしたばかりのときである。
乗り換え駅をすぎる手前で、どういうわけか、意識が落ちてしまうのである。次の駅(森下?)あたりで気がついて目を覚ますが、引き返した東日本橋では覚醒できず、市ヶ谷駅あたりまで、ふたたび逆に戻ってしまう。
こうした状態は、体も心も極限状態にあるときに起こる。忙しさとアルコールで、体がぼろぼろになっているからである。いまは幸いにして、そうした状態にはない。昨日の乗り過ごしなどは、良い兆候である。熱心にしごとをしている証拠である。
しかし、年末にかけて、気が緩んでくると怖いことが起こる。過剰なアルコールの摂取と運動のやりすぎに、注意をしないと。