窒素循環の観点から、有機たい肥と化学肥料に差異はなくなる?

 瀧澤美奈子著『植物は感じて生きている』(化学同人、2008年)の第7章「土の中にある大事なもの」を読んだ。著者が、植物栄養学者の間藤徹氏へのインタビュー記録を、一つの章にまとめたものである。大いにショックだったのが、植物にとって有機たい肥と化学肥料は等価だという結論である。

 

 「17の無機元素」という節で、著者の瀧澤さんは、つぎのような間藤さん(京都大学農学部教授)の言葉を引用している。

 

 「植物は太陽からの光と、水と空気と土からの無機元素の4つだけでちゃんと育つことができます。必要な無機元素はいわゆるミネラルだけで、タンパク質やデンプンや脂肪はすべて自分で合成しています。もう少し詳しく言いますと、空気中の二酸化炭素、根からの水分、窒素、(以下、省略*17の無機元素が並びます)の17個の無機元素だけで生育することができます。実際、植物を溶かしたこれらの無機元素だけで水耕栽培しても、ちゃんと一生を健康にすごせるんです」

 

 このことから言えるのは、植物自身は、17個の無機元素以外、特別に有機質(たい肥)を必要としないことである。したがって、有機栽培と化学肥料を使った慣行栽培との間に、実った農産物(野菜・果樹・穀物類)にとくに差はないということになる。自然に実ろうが温室で人工的に作られようが、植物としては等価なのである。唯一の違いは、土壌微生物が作用する生分解の効果である(微生物がアミノ酸を構成するために有機質を必要とするから)。

 ということは、植物工場で作られた野菜と有機農法で栽培された野菜に、栄養成分的にも食味の違いもないことになる。むしろ問題なのは、有機たい肥であれ化学肥料であれ、肥料のやりすぎの方にあるようだ。窒素の循環をコントロールできるかどうかが、より大きな課題のようなのだ。

 

 ここまで読んだところで、先々週、神戸のロック・フィールド本社で交わした、岩田社長との会話を思い出した。

 岩田さんは、サンフランシスコ(バークレイ)のオーガニック・レストラン「シェ・パ二ーズ」のオーナー、アリス・ウォーター女史と親交が深い。数年前には、彼女の指導で、「BeOrganic」というブランドを立ち上げたこともある(いまは閉店)。

 その岩田さんが、「西海岸のある植物工場で作った野菜(レタス)が、とてもおいしかった。しかも、冷蔵保存して加工したあとも、鮮度が劣化しない」と言っていた。たぶん、この評価は正しいのだろう。自然な状態のものより、場合によっては、人工的に栽培をコントロールしたほうが、野菜が美味しく作れる可能性がある。それをご自身の舌で確認したわけである。

 

 第7章と岩田さんの味覚が教えててくることは、植物工場の有用性についてである。これまでわたしは、コスト面と味覚面で植物工場には否定的だった。しかし、栄養科学的に、有機たい肥でも化学肥料を使った場合でも、できた野菜は等価のようだ。とすれば、両者を区別する意味はない。環境的な観点を除けば、どっちも美味しくできるはずである。

 有機栽培と水耕栽培(植物工場)を区別する必要はなくなってしまう。感覚的な議論は、これ以上する意味がなくなってしまうのである。この本を読んだ意味は、とても大きかったように思う。いまは手元にないが、他の章も少し気になっている。