民主党の代表選は、予想通りの展開になっている。小沢氏勝利の先に来るものは、、

 7月の参院選挙前に予言したように、民主党は分裂の様相を呈してきた。申し訳ないが、この戦いは、菅首相には勝ち目がない。菅さんは、人が良すぎるからだ。小沢氏の勝利の後に、政党政権の組み替えがやってくる。小沢氏の勝利を前提に、政治は先に進んでいる。


民主党の中道・左派(現・菅内閣の支持母体)は、切って捨てられるか、沈黙するかである。常識的にみて、民主党の代表選挙で、菅首相の「反小沢派」が勝てるとは、とうてい考えられない。
 政党(民主党)構成員の投票行動に、世論調査の結果(菅支持60%超、小沢支持20%以下)が影響を及ぼすなど、ありえない妄想である。政治家たちの行動は、一般庶民とは軸がちがうのである。
 メディアの論調は、実に甘い。彼らの発言は(今朝の新聞論説を見てみるといい)、希望であって、現実とは遊離している。新聞の論説は、政治の世界の厳しさと現実主義がまったくわかっていない。
 
 次なるステージは、ねじれ国会回避のための、小沢首相による自民党・公明党の取り込みである。メディアとその論調を鵜呑みにしている「民意」なるものは、無視されるだろう。結局は、結果論である。政治は、われわれが思っている以上にダイナミックだ。
 大混乱のうちに、保守連合が組織されるだろう。大連立構想は、いつか来た道ではないのだろうか。誰が最初にそれを画策しようとしたのかを、われわれは覚えているだろう。小沢氏の構想だったはずだ。そこへ戻っていくだけなのだ。
 民主党左派は、小沢さんに利用されただけである。結局は、組織票をバックに選挙を有利に戦おうとするのは、政治家たちの常道の戦略である。選挙に強いのが、民主主義を制する政治家なのだ。
 これが、二回の投票によってしか民意を主張できない「民主主義」の本質なのだ。しかも、日本は米国とはちがって、首相を直接は選ぶことができない、間接選挙の枠組みで、われわれの政治は動かされている。メディアは、日本の政治のルールを、どの程度理解できているのだろうか。

 菅首相の周辺にいる「理想主義者たち」が、もう少し政治的に賢く、もう少し経済学と外交を勉強していたならば、このような民主党政権の結末にはならなかったはずだ。
 すべては、菅首相が突然言い出した、「消費税を引上げる」の発言によるものである。驚くべきほどの政治音痴である。政治的なセンスのなさ。頼るべきひと、相談すべき賢い側近の不在。そして、極め付きの愚策に尽きるのである。
 「社会民主主義」の幻影が、いまや遠くに去っていくのが見える。菅首相は、戦後日本にありえたはずの大チャンスを逃してしまった。彼は今、忸怩たる思いに浸っているのではないだろうか。自分たちが作った枠組みに、もはや政治的な展望はない。
 戦国時代ならば、討ち死に。江戸幕府の徳川政権下では、腹きりになるだろう。

 政治は、経済に従属する。ともかく、日本の次なる成長戦略を描くことである。財政赤字削減は、いまは優先的な課題ではない。そのことを理解しない政治家は、究極的には、この大乱戦を生き抜いていくことはできない。最終戦に、敗れるだろう。
 こうなってしまうと、インフレくらいのほうがまだましである。そのように、みなが思ってしまう。モラルハザードも、極まれリである。現代の徳政令は、ハイパーインフレである。
 日本国も個人も、そして、米国にとっても、重たい借金が帳消しになるのだ。そして、成長がすべてを癒すことに、早く気がつくべきだ。この国の出口は、そこにしかない。
 官僚たちは、自分たちの立場を侵してきた、現政権を利するような行動をとるはずがない。政治的、経済的に無策だった、民主党政治の終焉をじっと待っている。

 見るがいい。日銀当局(白川総裁)も、まじめに菅首相を支援しようとはしなかったではないか。菅政権の終わりを、静かに見守っているのだ。延命などする必要がない。そう感じているから、誰も首相を助けようとしなかった。
 人間的には、わたしも菅首相はきらいではない。しかし、政治の世界は、そんな人間性などには関係なく、過酷できびしい世界である。構想力と交渉力とを同時に持ち合わせなければ、修羅のように生き延びて、よい仕事はできない。
 この先を、じっと見つめていよう。何が起こるのか? 思いもかけないような奇策が繰り出されるはずだ。いままでの枠組みは、大きく変わるだろう。変わらざるを得ない。その先には、どんでん返しが待っているはずだ。