遠くで花火を打ち上がる爆発音がする。八千代市の子供花火大会らしい。わが家からは、花火の姿はいっこうに見えない。いつもそうだ。夏の日は、花火の音を聞いて終わりになる。雷鳴と花火の音で夏は終わる。そういえば、今年は、白井市でいちども雷が落ちていない気がする。
花火は、どんなに遅くとも、午後9時には打ち止めになる。最後のスターマインと、滝のような火の列が帯のように川面に落ちて、夏は終わっていく。
考えてみれば、夏の日は、この数年、書籍の出版や校正に時間をとられている。最後に、仕事を離れて、思い思いの充実した夏を送ったのはいつのことだったろうか?
人間の記憶(の忘却は)恐ろしいな。忘れてかけていた。去年は、新潟の妙高高原で、自主トレをしていたではないか!
2010年の「東京マラソン」に向けてであった。そのことを忘れかけていた。8月の10日間で、100KMを走っていた。長い距離を車で走って行って、法政大学の陸上部(駅伝部)が走っている湖畔を、何度も走ったみた。
やればできる。それなのに、人間はついつい自分に妥協をしてしまうとする。弱い存在だ。今日も、わずか10Kを走るのに、暑くて何度も立ち止まりそうになった。国道16号線の交差点、通常の10Kコースの中間点まで、28分もかかっている(いつもは26分)。
暑い夏だから、仕方がない。最後まで完走したのだが、2000年の「網走ハーフ」の中間地点を思い出してしまう。人間は、トラウマからは逃れられない。
おやすみなさい。本来は、本日は(明日まで)、JFMAのサマーセミナーで小淵沢にいるはずだった。いつも、予定はその通りには実現しない。同じ場所に留まりながら、少しずつ、そうだね、少しだけ文章をつないでいく。終わりが見えない。
宿命だよな。物書きは、本当に孤独な作業だ。すべて自己責任。逃げられない。頼るのは誰もいない。本当にいつも一人だよな。
亡くなった開高健が言っていた。「書くこととは、暗闇の中を一人で歩く、孤独な作業だ」と。世の中に無いものを、でっち上げるわけだから、当然のことだ。書くことは、存在していなかったはずの「無」から「有」を生み出す行為だからね。