隅田川の花火の開催日だった。復活してから何年になるだろうか?いまでは、神宮、葛飾、江戸川、東京湾など、毎週、東京周辺のどこかで花火大会が開かれている。
打ち上げ花火の大きさでは、学生時代に新潟の駒形くん宅に宿泊して見せてもらった、長岡の花火が最高だった。情緒や雰囲気では、講演先で見たハウステンボスの水際の花火がベストだった。シンデレラ城をバックにした、TDLの花火も思い出が深いかな。花火は見るだけではなく、音を楽しむものだ。どーん、どん。お腹の底を打つ音の響きが。
東日本橋から電車に乗ると、浴衣姿の女の子がたくさん、都営浅草線に乗り込んできた。浅草線は、隅田川の川床にそって南北に走っている。8割がたは、浴衣に彼氏が付いている。花火を楽しんだあとのカップルが、火花と轟音の余韻を楽しみながら、手を繋いで歩いてくる。うらやましいなあ。むかしを思い出してしまう。
いまの若いひとは知らないだろうが、浴衣はパジャマ、下着である。湯上がりの女たちが、江戸川や葛飾の花火の日に、街中を浴衣=下着姿で歩いていたのだ。江戸の町とは、そんな開放的な町だったのだ。
今年は、10代の女の子に加えて、30代、40代、妙齢の婦人たちが浴衣を着て歩いているのが目立っていた。若い子の浴衣姿もよいが、着こなしのよい30代後半から40代にかけての女性の浴衣姿のほうが、絶対に優雅でセクシーだ。花火大会の主役は、年齢がすこし上がったようだ。これも新しい文化なのだろう。
女性に浴衣を贈ったことがある。仕事柄、花を贈ることは、ごく日常的に行う行為のひとつであるが、さすがに浴衣をプレゼントするのは、かなり例外的な選択だった。しかし、生涯でもっとも思い出が深い贈り物でもあった。地下鉄の改札から、いま彼女の手を引いて出てくる若者のうち、何人がその浴衣を彼女にプレゼントしているだろう?
まだ浴衣がブームになる前だった。そのころ、靖国神社のみたま祭に出かけたり、神宮の花火を見るために、浴衣を着る女性はそれほど多くはなかった。ましてや、浴衣のプレゼントには、驚きと意外性があったのだろう。デバートの店員さんにとって、わたしたちはめずらしい存在だった。不思議な顔をされていた、と思う。
浴衣をプレゼントしてよかったのは、買い物と花火見物の二回、デートが楽しめることだった。江戸の風習として、浴衣が下着だったと言ったが、わたしは、浴衣に特別なメッセージを乗せたつもりだった。正確に伝わったかどうかは、わからない。
あれから何年が経過しただろう。今年もまた、浴衣と花火の夏がやって来ている。