7年目の卒業式: 経営学部7年生、徳永君やすまさ君の場合(後編)

ポケットから携帯電話を取り出して、教授会の部屋を抜け出した。すぐに奈美さんに電話を入れると、徳永さんも絶句である。その翌日、すっかりしおれ切った表情の母親と息子が、ふたりして研究室を訪れた。

 よく聞けば、必修語学の英語1科目2単位の不足である。その他の科目は、必要な単位がほぼ取れている。4年次までの進級に必要なのは、必修語学の単位だけである。とくちゃんのような性格の子には、ある特徴がある。「抜かり」があるのだ。詰めが甘いのである。

 奈美さん曰く、「いまだに朝、ちゃんと起きて学校に行けないんですよ(涙)」。
 語学の単位を落としたのは、通常の授業への出席が不足していたからである。5年目の3年生なので、あと2年しか余裕がない。来年度(2008年度)、首尾よく進級できないとなると、放校処分になってしまう。8年間が大学在学の限度である。この先、3年以内(2011年まで)に、卒業しなければならない。
 当面の課題は、来年度で、語学の単位を取得し終わることである。そのためには、留年クラス「3年Z組」で抜かりなく、出席点を稼いでおかなければならない。情けない話ではあるが、徳永君は、朝が起きられないことが課題である。わたしが彼に言い渡したのは、朝早く学校に来るための習慣をつけてあげることだった。

 当時、経営大学院がある新一口坂校舎の6階(千代田区九段北)に、わたしが会長を務めている「日本フローラルマーケティング協会」の事務所があった。奈美さんの了解を得て、泰正君には、同じフロアーにある子会社の「MPSジャパン」(花の国際認証会社、本部オランダ)で、アルバイトとして働いてもらうことにした。しかも、無給である。
 日本の花農家さんから集めた農薬や肥料のデータを、PCに入力する作業の担当である。さっそく翌日から、MPSジャパンの津田歌世子さんの下で、オランダ本部にデータを送る仕事をはじめた。作業そのものは単純である。しかし、仕事は毎日ある。千代田区九段北の事務所に、早朝に欠かさず来なければならない。データの入力作業を終えてから、授業に出るようにすればよい。終わったらまた、事務所に戻ってくる。
 わたしの目論見は当たったようだ。泰正君のルーチンワーク(反復行動)がはじまった。そのうちに、自転車で通学したり、元気を取り戻していった。わたしのマラソンの練習を見習って、徳永君も短い距離を走るようになった。10Kのレースにも出たようだが、本人は、レースの結果は黙して語らなかった。

 2009年の1月には、JFMAの海外研修ツアーにも参加することになった。大人に混じって海外研修旅行に参加することは、彼にとっても貴重な経験になると思った。お金もかかるので、その趣旨を奈美さんに相談してみた。
 英国のスーパー5社(テスコなど)の店頭で、日本全国から集ってきたJFMAメンバー約20人と、海外フィールドワークを実施した。奈美さんのアクアは、ショッピングセンターで、フードコートの飲食店舗を運営している。貴重な体験だっただろう。ツアーが終わってからは、そのまま一人でパリに旅行して無事に帰ってきた。
 もっとも、当時はまだ基礎体力が不足していたようだ。旅行中で同室だった西尾さん(名古屋よつや花き)に風邪をうつされて、一晩ホテルで寝込んでしまった。現地の病院で診察を受けてもいた。
 
 年度末になってから、無事4年生に進級できたらしかった。卒業までまだ一年はあったが、単位はほぼ取得できていた。わたしも「やす」の通信簿には、いくつか足跡を残してあげた。つまり、単位の取得に貢献してあげたわけである。
 そのころ、奈美さんが体調を崩して、短期間だが、病院に入院することになった。数年前に、奈美さんは循環器系で大病を患っていた。泰正君は、休業中の母親の会社「アクア」を助けるために、自社のフードコードで働くことになった。
 市ヶ谷のMPSの事務所には、会社のしごとが忙しくなって、しだいに顔を見せなくなっていた。ときどき奈美さんに電話を入れてみたい。「やすは、お店で元気に働いてますよ~」と返事が返ってきた。とりあえず、安心したものだった。

 そうこうしているうちに、その前年には妹さんが経営学部に入学してきた。二年目には、わたしの授業「インターンシップ(企業実務研修)」を受けることになった。夏休みには、本人の第一志望で、「SPSS」(統計ソフトの会社)に研修に入っていた。8月末の暑い期間だったが、レポートの出来栄えもプレゼンも、兄貴より立派なものを提出してきた。
 「兄ちゃんと妹さんの両方に、単位をさし上げたことになりますね」。
 奈美さんは、それを聞いて笑った。2009年の秋口のことである。
 「泰正君、いまどうしてるんでしょうね?」と津田さんに聞かれることもあったが、やす君のことはすっかり忘れていた。
 そして、年が明けて、3月24日の深夜に、泰正君から「卒業できました!」のメールが舞い込んだのである。やっちゃんに簡単なメールを書いたあと、奈美さんには、すこし長いメールを送った。

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題名:「ご卒業おめでとうございます」
Thu 03/25/2010 07:38:41 JST

徳永奈美 様

 おはようございます。
 昨夜、息子さんからメールが届きました。
 一年を残して(7年で)、無事にご卒業、
 おめでとうございます。(笑、祝賀)
 
 フィールドワークへの参加、JFMAや海外ツアー、
 「吉」と出たようです。途中退場とゴールインでは、
 今後の人生に大きな違いが出るでしょうから。

 わたしのほうは、おかげさまで、東京マラソンは、
 3回目ではじめて4時間を切ることができました。
 また、昨年、日経から出版したテキストも、
 重版になりました。つぎは、わたしとしては
 はじめてのドキュメンター小説、「小川町物語」が
 小学館から出版されます。8月の予定です。
 本日もまた、宮原までM社員さんのインタビューに
 うかがいます。来週は、野中社長です。

 たしか、わたしの記憶に間違いが無ければ、
 奈美さんも、大学に入学と伺っています。
 結局、どちらの大学に入られたのですか?
 法政ですか? それとも、慶応でしたっけ?

 ご家族の健康と、事業のますますの発展を
 お祈りします。なお、わたしは、新学期から
 イノマネ大学院の学科長(校長)に
 舞い戻りました。毎日が憂鬱です。

小川

 奈美さんからはすぐにメールが戻ってきた。
 「他のかたの参考になるのでしたら、、、」と、ご本人の許可を得てある。
 このブログに、徳永さんのメールを転載させていただくことにする。

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題名:「ありがとうございます」
Thu 03/25/2010 10:38:31 JST

 わざわざ、メールを頂けありがとうございます。
 私にも昨夜メールが入り、マイナススパイラルから何とか
 小川先生にお送りしたメールを私にも送ってくれました。

 小川先生には、泰正の挫折の大学生活の中、9回の裏で何とか
 学生らしい事をさせていただくチャンスを与えていただき
 感謝の念に堪えません。本当にありがとうございました。
 きっと彼も今後の人生で人が困っていたら、手を差し伸べる、
 親切に手をかけてあげる!事を学び実践して行くと思います。

 お陰さまで長女はゼミ合宿に始めてデビューし、
 ただ宿泊は大原簿記の2級講座にブッキングしたと
 三浦海岸から日帰りで先輩に駅まで送ってもらって!帰って来ました。
 楽しい学生生活を送ってくれそうです!

 次男は損保ジャパンに就職し4月1日に入社式です。
 私は日大法学部の2部に4月8日入学式を武道館で?女子大生になります。
 張本人の泰正は本日大宮ソニックシティーでアクアの入社式を迎え、
 平成生まれの高卒、短大卒の女子メンバー3名とで新入社員となります。
 アクアは社員66名の会社になりました。
 今日は全員出席で新入社員を迎えます。
 合わせて経営計画発表会を開催します。

 明日は、家族4人で伊豆にゴルフ、温泉、旨い魚、
 アウトレットに出かけてきます。
 おそらく家族で行く最後の旅行になるかなーと、思っています。

 お陰さまで、アクアは順調に微成長を続けています。
 合わせて埼玉交通と言うタクシー会社と
 観光バス会社の経営のお手伝いを半年ほど続けています。
 昨年秋に不動産免許を取得しぼちぼち仲介を始めています。
 何か法律問題や、不動産問題でお困りの時は!
 是非、お声掛けください。
 最善!を、ご提案できると思います。

 本当に一番の頭痛の種だった泰正から
 下記の様なメールが届いて思わず目頭が熱くなりました。
 本当にありがとうございました。
 4月からは水道橋に通学します。
 又一度お食事でも!ご一緒させてください。
 お身体くれぐれもご自愛くださいませ。

 株式会社 アクア
 代表取締役 徳永 奈美