トルコ大使館からの手紙、チューリップシンポジウムのパネリストとして招聘を受ける

 一昨日、トルコ大使館から研究室に電話があった。わたしは筑波山の中腹にホテルで、春合宿中だった。突然の電話を受けてくれた秘書の福尾によると、今月23日に開かれる「国際チューリップフェスティバル」のシンポジウムに、パネラーとして参加してほしいとのこと。


日本チューリップ協会の会長として、トルコの小さな村からのご招待である。22日は、某自動車会社のコンサルティング案件が、23日には、午前中に大学院のプロジェクト発表(授業導入の第一回目)がある。24日以降は、しかし、連休明けまで、まったく仕事が入っていない。大学院イノマネ研究科のコーディネーター役を誰かに頼むことができれば、晴れてトルコに行くことができる。

 トルコ大使館から、わたしの携帯に直接電話を入れてもらった。雄大な関東平野を見下ろしながら、筑波グランドホテルの露天風呂に浸かっているところだった。トルコ大使館の穐山(あきやま)担当官から、チューリップフェスティバルの概要を伺った。
 直観的に思った。これは、御縁である。わたしのHPを見て、日本チューリップ協会のことを知ったらしい。日本近海で難波したトルコの船員を日本の村人が助けてあげた「美談」(2002年ごろ、わたしのHPで紹介)は、どうやら読んでいなかいらしい。
 昨日、送られてきたFAXによれば、ラッキーなことに、チューリップシンポジウムは24日に設定さ
れていた。日本とトルコの間には、半日の時差がある(6時間)。23日の午後に日本を出れば、直行便なら、23日のうちにアンカラ(イスタンブール)に到着できる。パネリストとしての登壇は、ぎりぎり可能なタイミングだ。
 ご存知のように、トルコはチューリップの原産国である。その国に日本人のわたしが招待されたのは、今年2010年が、「トルコにおける日本人年」だからである。江戸時代に起こった難破船救助の話しから、トルコは日本に対してとても良い印象を持っている。数年前にワールドカップで日本がトルコと対戦したことがある。あの時も、わたしたちは、親交国同士の戦いを楽しんだ。結果は、トルコチームが日本に勝ったが、対韓国戦とは異なり、野次や罵声は飛び交わなかった。

 しかし、なのである。4月16~20日は、バリローズコンテストが、インドネシアのバリ島で開催される。主催者側(JFMA)のデザイン審査委員長として、わたしはイベントに参加することになっている。バリツアーの案内役であり、企画のリーダー格である。こちらは、わたしたちと現地のアヤナホテル(旧リッツカールトン)と日本航空との提携開催である。
 4月20日は、早朝にJALで成田に帰ってくる。そのあと、お昼からは大切な会議がひとつ。二日を空けずに、すぐにトルコ航空に乗ることになりそうだ。まあ、こんなことでもなければ、トルコやイスタンブールには行けないだろう。結論は、出ているが、体がたいへん。同僚には、さっそく迷惑をかけるなあ。