スタジオ文化論: 志村なるみさん、ABC Cooking Studio 元代表取締役社長(現ABC Holdings 取締役)、インタビュー

ABC Cooking Studio創業者の一人である志村なるみさんに、日本SC協会のアカデミーで講師をお願いした。その打合せのために、有楽町近くにあるオフィスを訪問した。一昨日(6月3日)のことである。講演そのものは、法政大学大学院の新一口坂校舎で、11月6日(午後18時半~)の予定である。ご本人の希望で、講演は対談形式とした。


ご出身の静岡での講演で、慶応大学の先生と組んだ際、「Q&A形式で楽しかった!」との感想。その場で対話形式に変更した。40分の打合せだったが、掛け合い漫才ができそうな気配がある。もちろん、わたしが突込み役である。
 第一印象は、大切である。志村なるみさん(45歳)の名刺は、「なるみ」と平仮名になっている。2006年、朝日新聞のインタビューの際には、「法美」と名前を記されていた。わたしがご本人を見た印象は・・・「法美」のほうが志村さんらしい。45歳の(元)創業者社長には、そのくらいの固さがあってもいいのないのか?というのが、わたしの率直な感想である。たぶん、女性を数千人近く扱っている職場なので、やわらかく「なるみ」に変えたのだろう。
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 ABC Cooking Studioの創業は、25年前の1985年である。本人曰く、「20歳のとき、故郷の静岡県藤枝市で、フリーターをしていた」。高卒のアルバイト女性である。直前に父親が商売に失敗。ご自身も必死になって、つぎの仕事をさがしていたのだろう。男女雇用機会均等法が施行されたころのことである。
 「江副さん(元リクルート社長)が書いた(実務系の)マーケティングの本などを読んでいた」(志村さん)。勉強家である。反応がおもしろい。わたしがたまたま持参した「マーケティング入門(第7章 マーケティング・インテリジェンス)」のゲラを一瞥して、コピーを欲しがった。本文ではなく、約80冊分の<参考文献>である。
 現在のパートナー、「日本一の経営者になるはず」の横井啓之CEOを知人に紹介され、ABCの前身(㈱ジャンヌ)を設立した。1987年のことである。はじめは、キッチンツール(お鍋など)を販売する仕事をしていたが、なかなか売れない。そのうちに、器具の使い方(ソフト)を教えないと、キッチンツール(ハード)が売れないことに気がつく。「和気あいあいの料理教室」をはじめたのが、ABCのはじまりである。
 料理のレシピは、集ってきた仲間が自然発生的に開発するようになった。腕が上達して、料理専門家のような技能を持った女性チームができる。サークル的な会社組織が飛躍するのは、横浜・元町、名古屋に進出したころからである。中京地区を中心に、全国に展開し始めた教室運営を、元生徒の女性たちに任せるようになる。
 1990年、バブルがはじける前後に、教室でのレッスン料が物販の売上を越える。二時間で手作りのパンを焼けるプログラムを導入して、若い女性客が増えた。小麦粉から生地をこねて手作りのパンを焼くとなると、本当は発酵から焼きあがりまで4~5時間はかかる。半日の工程を二時間に短縮したのが、教室運営を成功させるポイントであった。
 手軽で楽しい、そのうえ、家庭では教えてくれない「料理術」が習得できる。おしゃべりもある。OLたちにとっては、仕事後のストレスの発散の場にもなるのだろう。若い女性客を相手にする商売として、成功すべき要因がすべてそろっている。
 ネットコミュニティと異なるのは、達成すべき目標があって、なおかつ現場作業を伴う課業が課されることである。一般の資格スクールほど、ABCクッキングスタジオの雰囲気はぎすぎすしていない。たとえ公的な資格試験はなくとも、技能の習得という実利があるからである。
 ガラス張りのキッチンスタジオ(料理をしている様子が一般の通行人からも見える)は、演技の舞台でもある。若い子たちが潜在的に持っている「お姫様願望」もかなえてくれる。手作りで料理を作る「素敵な自分」を、他人に見てもらう場所を提供してくれる。
  ABC Cooking Studioのビジネスモデルは、カラオケ文化の延長線上にある、とわたしは見ている。ABCの「スタジオ」は、自己表現の場である。
 教室の施設は、全国の駅ビルやSC内などに105ヶ所。正規従業員や非常講師など、ABCのスタジオで働いている女性たちは、総勢で約3,500人。この6月1日には、「ABCクッキングラボ」を、慶応大学の日吉校舎に開業した(『日経MJ』過6月3日号に記事掲載)。大学もうかうかしてはいられない。
 ところで、お花やお茶などのお稽古ごとで、ABCのようなビジネスモデルが生まれなかったのは、なぜなのだろうか? 教育カリキュラム面で、専門学校や女子大学と一味ちがうシステムが構築できたのは、どうしてなのだろうか? 応用問題は、11月の講演のときに受講者の皆さんと一緒に考えてみたい。