「初めてののぞみの運転を両親とご一緒できて、中村先輩もきっと喜んでいると思います。長旅、お疲れ様でした」
帽子を脱いだ真継は、中村さんのご両親に向ってぺこりとお辞儀をした。のぞみ34号は、東京駅に入線したばかりであった。グリーン車の通路側、16列B席に座っていたお父さんの目が笑っていた。
「さっきの車内放送は、あなただったのでしょう。息子の名前が流れたときは、ちょっと驚きました」
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新幹線を運転するには、ふたつのコースがある。次男の真継のように、当初からJR東海の新幹線事業部に就職して、通常のキャリアパスを歩むコース。高卒で現在5年目の次男は、改札係、窓口での切符販売、2年間の車掌業務を経て、今年6月に運転手の適正試験を受ける。早ければ来年中には、東海道新幹線を運転することになる。
もうひとつは、技術系の4大卒がたどるコースである。JR各社は、新卒で採用した技術者にも、新幹線を運転することを義務付けている。なるべく現場の仕事を知ってもらうために、ごく短い期間ではあるが、新幹線の運転手を体験しもらう。自動車会社や飲料メーカーでも、事務系で採用した新人に工場で力労働に従事させることがふつうである。
技術系4大卒の中村さんは、入社2年目である。3月に適正試験に合格して4月から新幹線を運転することになった。旧国鉄からの習いで、初めて運転する最初の新幹線には、新人の運転手のご両親を招待するのが伝統となっている。
中村さんが運転するのぞみ34号は、博多発東京行きだった。JR東海の車内アナウンスは、新大阪駅を出発した直後に行われる。わたしは月一回の割合で関西方面に出張している。息子が新幹線の車掌をしているので、アナウンスにはいつも聞き耳を立てている。新幹線に乗ったときのことを思い出していただきたい。列車名、始発駅と終着駅、途中停車駅と停車時間が放送されたあと、車掌と運転手の名前がアナウンスされる。ちなみに、真継が乗務した列車には、わたしはいままで一度も同乗したことがない。
さて、当日、中村さんのご両親がのぞみ34号に乗車したのは、JR東海の管轄下にある京都駅からであった。新大阪を発車した直後に、運転手の中村さんと真継ともう一人の先輩の名前を、杉山車掌長がアナウンスした。京都駅から途中乗車のご両親は、息子の顔を確認することができない。列車を指定されたのだから、たぶん運転しているのが息子だろうと推測するしかない。
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当日の真継は、運転室との連絡係だったらしい。例によって、前もって「中村情報」を入手しておいた真継は、運転室に移動したさい、ご両親が乗っている車両番号と座席番号を本人にたずねてみた。本来の仕事なのかどうかはわからないが、本人の意図としては、担当車掌として、おふたりにJR東海を代表してお祝いのご挨拶をするつもりだったらしい。「中村先輩と同年で、車掌の小川と申します。本日は、新幹線の初運転、おめでとうございます・・・」などなど、愛想を振りまきに行ったにちがいない。
挨拶から戻ってきて、彼はその事実に気がついたらしい。運転手の名前のアナウンスが新大阪駅のホームを離れた直後で、東京駅に到着する直前の放送は、自動音声での「乗り換え案内」だけだということを。東京駅到着まであと30分。小田原がすぎて新横浜を通過する少し手前である。
音声自動放送から手動に切り換えることはできる。すぐさま、杉山車掌長に事情を話してみた。担当ではない真継がマイクを持って乗り換えの案内放送をすることに、即座に許可が出た。列車は品川駅を通過した。
「あと5分ほどで、この列車は東京駅に到着いたします。乗り換えのご案内をさせていただきます。中央線は1、2番ホーム、山手線、京浜東北線の上野方面は3、4番ホーム。品川方面は5、6番ホーム。総武快速線、横須賀線は総武地下ホーム、京葉線は京葉地下ホーム、東北、上越、長野新幹線は20~25番線から発車いたします。なお、この列車の運転士はJR東海の中村が勤めさせていただきました。終点東京には、定刻で到着でごさいます。今日も東海道新幹線をご利用下さいきましてありがとうございました」
ふだんは経験したことがない乗り換え案内の放送である。「急な話でリハーサルの時間がほとんどなかったから、ところどころトチッてしまったよ~」(真継)。
その後は、自動音声での英語アナウンスに切り替わった。「英語の部分もそのまま自分でアナウンスしたらカッコよかったのになあ」(父親のわたし)。