洞戸村滞在日記(7): 山に登る、川で遊ぶ

3日の午前中は、高賀山に登った。標高1224メートル。急峻な山ではないが、中濃近辺ではいちばん高い山である。洞戸村から仰ぎ見ると、中部電力の送電線が邪魔である。これもダム建設の弊害である。


美しい風景の中に、電力会社(送電線)と林野庁(保安林)の看板が突然あらわれる。「かつてような神々しさがなくなった」と地元の人が言っていた。ひとは風景を壊し、森を荒らし、水を汚した。そして、村には神様が降りてこなくなった。
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 頂上までの登山道は全長3.1キロ。小さな沢沿いに2キロ強の山道が続く。熊が出そうな竹藪の中をこいで、緩やかな坂を上っていくと高賀山の頂である。「これより先は、板取川に行けません」との標識が堂々と立っている。ということは、いつか険しい崖を降りようとした人間がいたことになる。
 この地に暮らしていた山伏達が、頂上まで続く沢沿いの道を開いたのだろう。修験者たちが作った歴史の名残があちこちに残っている。岩戸(いわど)、洞戸(ほらど)、谷戸(たんど)。地名の「戸」は、入り口の意味である。山伏が吹く洞貝の音が、いまにも聞こえそうだ。
 製材所の桑原社長は、「ふつうは2時間じゃけんど、先生の足だと一時間半ってとこかな」と予想を立てた。単独行になるので、もしものことがあったらいけないと思い、桑原さんにだけは高賀山に登ることを告げたのである。
 頂上へは70分でどり着いた。昇りが少々早足すぎたので、下りで膝が笑うのではと心配だった。膝のダメージはそれほどではなかったが、下りで何回か足が滑って転びそうになった。2度ほどこけそうになって手を汚した。軍手をはいてくるんだったと後悔した。
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 切り出した材木を麓までトラックで運ぶために、頂上近辺まで林道が開けている。宮下林道は、高賀山まで850メートルのところまで延びている。歩こう思えば途中からでも頂上に登れるので、ちょっと味気ない。山に登るまえから下りは林道づたいに降りてこようと目論んでいたが、道路が工事中で林道は使えないらしい。材木を切り出す音が山に響く。水のきれいな沢に見とれて、デジカメで写真をふんだんに撮るために時間を使った。結局は、下りでも70分近くかかってしまった。
 当たり前のことだが、山を下りるとき、身体は前屈みになる。足先にぽたぽたとしずくが落ちている。最初は何かなと思っていた。かぶっている帽子のつばの先から、汗がしたたり落ちていたのである。半袖のシャツも汗を吸い込んで、身体に吸い付いてびしょびしょでにぬれている。これほど汗をかくとは思ってみなかった。
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 数年前、ふたりの男の子たちと穂高や北岳に登った。登山の帰りにはいつも、温泉に浸かって帰ったものである。高賀渓谷では、それが水浴びになる。
 8月に千葉の自宅を出るとき、ゴーグルと海パンを持参した。ところが、取材を優先させてきたので、今日まで、せっかくの道具を使う機会に恵まれなかった。山の水が冷たい。誰も見ていないので、汗でべとべとになったラガーシャツとGパンを脱ぐ。タオルで前を隠す必要などない。フルちんである。
 水底は案外ぬるぬるしている。丸い石に苔が付着している。鮎が食べるのか。すっと潜ってみたが、魚のかげはまったくない。もっと流れが早い淵にとどまっているのだろうか?9月上旬である。長い時間は水に入っていられない。身体の熱が水に奪われたところで、岸辺にあがった。
 橋の袂を見ると、数人の観光客が車から降りて水面を見ている。素っ裸ではないが、ちょっとバツが悪い。いい年をしたおやじが、ゴーグルをつけて水着で潜っている。たぶん、子供のように楽しそうに泳いでいたはずである。昨夜、せんべい布団のなかで読んでいた「日本の川を旅する」の著者、カヌーイスト・野田知佑の気持ちがよくわかる。川と遊ぶ、戯れることは、稚気があるひとにしかできない。わたしも仲間の資格はありそうである。
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 この渓谷は、秋の紅葉が楽しみだろう。杉や檜の針葉樹に覆われた隣谷と異なり、高賀の森にはブナやナラなどの広葉樹の林が多い。さらに上流の川浦(かおり)渓谷に行けば、深い谷が広がっている。ここも広葉樹が断崖を占めている。紅葉がきれいになるはずである。洞戸村が主催するキウイマラソン(10月30日)のときにはもう一度、桜やブナの紅葉を見にきたいものである。