遺していくモノ: 11人目の大学(助)教授

先週の水曜日(26日)に、ゼミの学生たちから誕生日(10月23日)のお祝いをしてもらった。サンキュー! プレゼントは暖かそうなマフラーである。ブランドは、下町の「安藤」=ANDO。


さて、彼らとの約束では、ゼミ修了後に夕方から一緒に皇居を走ることになっていた。折悪しく冷たい雨が降ってきた。仕方がないので、その後はそのまま飲み会に突入してしまった。4年生はまもなく卒業である。
 その宴席で、これまでの演習でいちばん印象に残ったわたしの発言を学生にたずねてみた。具体的にはどのような表現だったのか、わたし自身も忘れかけているが、「わたしが常々、自分の人生でもっとも大切だと思っていることは、自分の夢を託すことができる多くの人(あなたたち)を遺していくことである」みたいなことだったらしい。ご存じの方もいらっしゃると思うが、わたしの理想は吉田松陰である。自分の果たしえなかった夢を、彼は幕末・明治維新の志士たちに受け継いだ。そのまま書いてしまうと、ずいぶんときざったらしくて、格好が良い発言ではある。最近のことだと学生は言っていた。
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 わたしは研究者としてあと10年以上は働くつもりがない。「58歳定年」を目標にしている。数年後には、リサーチャーとして引退したいと考えている。着々と準備を進めているが、それでは、終わったときに学会に遺していくモノはあるのだろうか?と考えた。ちょうど今し方、学会誌の投稿論文のひとつを片づけたばかりであった。あと5か月で、編集長の任期が全うできそうである。
 大学院で学生を教えるようになって20年になる。お恥ずかしい話だが、最初の10年間は自分の研究に精一杯で、とてもではないが、ひとに何かものを教えていたという記憶がない。初期の学生(学部・院生どちらも含む)には本当に申し訳ないと思っている。勢いと若さだけで通り過ぎたものだ。
 事実をお知らせする。社会人大学院を始める前に、わたしの研究室(昼間の大学院)からは、ふたりの研究者と一人の実務家が巣立っていった。北海学園大学の天笠道裕君(情報処理教育)と富山国際大学の小西英行君(商学、小売経営)のふたりである。大学院の修士課程からニューヨーク州立大学に留学し、高田先生のお世話になった内田学君は、いまは教育ビジネスの会社を経営している。彼が雇っている派遣講師陣は、ほとんどがわたしの社会人ビジネススクールの大学院卒業生であるから、小川研究室の発展でいちばん恩恵を受けているのは内田君かもしれない。

 ここ数年で、急に大学教員が増えることになった。今年でその数が10人になった。
 順不同に、思いつくまま列挙する。多摩大学の豊田裕貴君(マーケティング・サイエンス)と酒井麻衣子さん(サービス・マーケティング)、同志社大学ビジネススクールの林廣茂さん(マーケティング・リサーチ)、京都工業繊維大学の坂本和子さん(マーケティング、消費者行動)、大阪商大の酒井理くん(マーケティング)、客員教授ではあるが、法政大学大学院の木戸茂さん(マーケティング・リサーチ)と京都大学大学院の野沢誠治君(製品開発、マーケティング・リサーチ)。今春からは、西武文理大学の高瀬浩君(サービス・マーケティング)が、専任講師になった。
 最後に、来年から客員教授になる女性がひとりいる。現在フリーアナウンサーの八塩圭子さんが、来年度からは、関西学院大学の客員助教授に就任する(広告コミュニケーション論担当)。まだまだその後には、大学で教育者になる予備軍が控えている。わたしの最後の仕事は、彼らにその先20年は安心して取り組める研究領域と教育コンテンツを遺していくことである。