皆さん、こんにちは。お知らせです。末弟の晋佐(しんすけ)が4月2日に急逝しました。彼の葬儀のため、秋田に帰省しておりました。死亡時刻は、午後10時04分。場所は、能代市のスポーツクラブ「アリナス」の温浴施設です。
死亡診断書を書いてくださった氏家医師(島田病院)によると、死因は心筋梗塞を発症したことによる浴槽での溺死。晋平(上の弟)とふたりで、亡くなった翌日(4月3日)に、能代警察署まで弟の遺体を引き取りに行きました。
能代警察署としては、事件性があるかもしれないと考えたようです。まあ、それはそうでしょう。当初は遺体を解剖しようとしていたようです。幸いなことに、現場検証から事件性はないものと判断されたようです。わたしたちが到着した時点で、弟の遺体は警察署の霊安所に安置されていました。
葬儀社と相談の上で、4月6日(火曜日)に火葬、翌7日(水曜日)に葬儀と決めました。月曜日が友引でしたので、このようなスケジュールになりました。2日間で、火葬から葬儀、お寺参り、納骨まで無事に終えることができました。
ところで、わが父親の小川久(ひさし)は、太平洋戦争の末期に招集され、通信兵として八丈島に輸送船で送られました。終戦後は地元に戻って、肌着や学生服などを取り扱う洋品店を始めたのが小川商会の始まりです。その後、呉服店に業態転換を提案したのは、母親のワカさんでした。
1981年に父親が亡くなり、7年前の2019年には母親がこの世を去りました。小川商会の事業を承継したのが末弟の晋佐でした。独り者で子供もいません。彼の葬儀では、わたしが喪主を務めることになりました。
明日(4月10日)、父親が始めた呉服屋の店を畳みます。小川商会は、一時期は年商で数億円を売り上げていました。卸売業も同時にやっていましたから、商売はそこそこ繁盛していました。しかし、父が亡くなってからの30年間は、商売はかなり苦戦していたはずです。結果として、地元の能代市に残った最後の呉服商として、75年の歴史を閉じることになります。
ところで、父親よりも商売が上手だった母親のワカさんは、2019年4月1日(エイプリルフールの日)に火事で亡くなりました。末弟が没した4月2日は、ワカさんの祥月命日の翌日にあたります。
「こんな厳しい浮世の世界に、可愛い息子をひとりにして置いておくわけにはいかない」(母親の気持ち)。弟を溺愛していたワカさんは、そう考えたにちがいありません。自らが息子を迎えるため、一日だけ地上に舞い降りたのではないだろうか。
葬儀に参列してくれた親戚の誰かが言っていました。「かあさんが火事で亡くなって、しんすけちゃん(末弟の愛称)は水で事故死」。偶然のように見えても、そこには何らかの因果が働いていたようにも思われます。
ところで、気持ちも落ち着いてきたので、親しい友人の何人かに、末の弟が亡くなったことを知らせました。その際、メールに添付した写真のうちの一枚が、冒頭のアイキャッチ画像です。わたしたちは、4人の兄弟(姉妹)でした。全員が東京か埼玉に住んでいます。
一昨日、葬儀を終えて東京に戻るため、残された3人は宿泊先のホテルから東能代駅までタクシーで向かいました。特急列車の津軽号が発車するまで、1時間ほど時間に余裕がありました。わたしからの提案で、運転手さんに途中で寄り道をしてもらいました。
ブログ記事の冒頭に載せた写真は、そのときのものです。わたしのインスタグラムに投稿してあります。米代川の河川敷で、タクシーの運転手さんにスマホで撮ってもらいました(Instagram)。左から順に、長女の道子、次男の晋平、そして長男のわたしです。
なお、インスタグラムの一枚目の写真は、シャッターが閉じて「小川商会」の看板が消えてしまった店の前で、3人が並んでいる様子です。2枚目は、子供の頃に筏(いかだ)に乗って遊んだ、米代川の河川敷から冠雪の白神山地(世界遺産)を背景に撮影したものです。
この3枚の写真を見て、友人で料理研究家の山本朝子先生が、わが弟のために短歌を詠んでくださいました。
散る花の
名残を映す
軒の春
のれんの影に
風のみぞ立つ
いまの今、弟と永遠のお別れです。
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