JFMA会員の皆様へ
以下のメールは、4月24日に、JFMA事務局の拝野多美さん経由で、会長のわたし(小川)に届いた手紙です。末尾には、「片桐の独り言」と書かれています。しかし、わたしもこの頃になって、しばしば考えていることがたくさん含まれていました。
JFMAの会員・理事(顧問)の皆様にも、ご覧いただきたく、個人のブログに投稿させていただくことにします。アルストロメリアなどの花き栽培者として著名な片桐敏美さんは、会の創設以来のメンバーです。
JFMA 小川会長 様
いつものアルストロメリアです。飾ってください。
我が町の農業用面積。約950ha 水田70% 稲作生産者団体 4団体の生産者平均年齢79歳。今までは65歳定年で、農家になる方(水田へ)がいたが、70歳まで企業で働けるので、70歳から農業を志す方はほぼ無く、全国で2050年には80%の農家がリタイアする。情報が、現実的な感じになってきました。
我が町の水田維持あと5年維持できるか? 稲作以外の50歳以下の農業者40名ぐらい、放棄地がどんどん増えそう。
花栽培は、後継者も多めで、まだまだ何とかなりそうな感じですが、
燃料の高騰、輸送コスト、(送料、箱代など)上がるばかりで、
安い単価の草物類、アルスト、バラ、ユリなど下級品の単価が下がれば、市場まで届くことが無くなる可能性あり。また、コロナの影響で花生産を諦めて野菜栽培に移行した施設園芸農家を知っている。
円安で輸入花卉が厳しい状態が本来なら、花屋さんの必要量の40%は輸入する必要があると思うが、今後が心配です。またJAの市場への販売戦略として、品種の絞り込み(市場占有率を高めるため)などにより、栽培品種が少なくなるかも?(もうこんな事をする時代ではない)
農家の悪い点は、農家が値段を決められないため。市場へ出荷して初めて赤字がわかること。 日本への野菜の輸入量もすごい数字になっていますが、このままでいいのかな?
今後、いつかは食べ物が無くなり、戦争の時代のように食べ物に困る時代が来るようになる気がします。その頃にはお米を作っている農家があるのかな?
今まで多くの企業が農業に参入してきたが、儲かりそうな所を狙ったのに惨敗して撤退した企業の多いこと。
無人での農作業でどのくらいの品種ができるのか?
52年前、私が家に入った時、果樹農家でした。曾祖父が昭和8年に二十世紀梨を伊那地域へ栽培を推進、一大産地ができました。戦後わが家へ、農林大臣が見え、曾祖父の碑が立っています。(産地化の功績)
父親の果樹栽培と同時に、私はリンドウの花を導入、栽培開始。
時代の変化とともに、新品種を探し、47年前、千葉の小森谷ナーセリーに出会う。
アスチルベ、ダイヤモンドリリー、アルストロメリア、デルフィニューム、クリスマスローズ、グロリオサ、サンダーソニア、ブルースター、ブプレリウムなど、国内での生産のほぼ無い時期から栽培。現在は市場での主力品ばかりに。アルストロメリアは、長野県が、特に上伊那が一大産地に。
県知事より、アルストロメリアで農業功労賞を頂く。
10年前に全面的に果樹をやめ、(地域の二十世紀梨も全滅)花卉専業になった。
今まで花市場へ出荷した品目1000種以上。現在も新しい品目へのチャレンジは続いています。 出荷箱のネーミングは、(えんどれすどりーむ)
夢を追いつづけました。 今は後継者が夢を追っています。
ネット花屋 (添える)開店。我が園のみで 花束、アレンジできます。
花店経験従業員2名在籍
片桐 のかってな独り言でした。 今後とも宜しくお願いします。
私の信念、一生にどれだけの咲いた花を見れるか。
コメント
片桐花卉園芸です。思わぬ掲載ありがとうございました。農家の現状を少しでも分かっていただければと思います。
片桐さんの今のお気持ちが、この手紙でとてもよくわかりました。来月の訪問(6月13日以降)を楽しみにしています。拝野さんも一緒に伺います。小川より