20年ぶりに、守谷ハーフマラソンを走った。目標タイムを2時間10分に設定していた。この2週間は、練習もそこそこできていた。ところが、15KMを過ぎてから大失速。最後の1KMは、歩くように走ってゴールした。15KMまでは快調だったのにである。東京マラソンに、黄信号が灯っている。今週末、松戸の河川敷で開催されるレースがある。再調整のために、急遽だが出走を考えている
守谷ハーフは、50歳代の前半に3度走っている。最初の2回は、1時間40分と41分。3回目は、1時間46分だった。
おもしろいもので、20年も経つと、かつて走ったコースの風景を忘れてしまっている。大会の案内では、「フラットなコース」となっていた。20年前の記憶をたどると、たしかに「フラットで走りやすいコースだった」と体は覚えていた。そこの微妙なギャップがあった。
昨日走ってみた印象は、体力の衰えと怪我の影響もあって、かつてのような感覚で「フラットなコース」には思えなかった。交差する国道付近で跨線橋が二か所あったり、つくばエキスプレス線のオーバーパスがあったりした。短いながらも、急坂が数か所あった(と感じた)。
練習が充分にできていれば、心理的にも問題がなく走れたのだろう。しかし、1月の練習距離は50KMをわずかに超える程度。練習不足と左腰を痛めたまま、無理を承知で走っている。後半の5KMは、なんと35分台に沈んだ。練習の時(1KMが6分30秒前後)よりも遅いペースだった。
ハーフやフルのマラソンを走り切るためには、モチベーションが大切である。10KM程度ならば、それは必要がない。トップランナーたちは、優勝や記録をかけて走ることができるが、わたしたちのような70歳を越したランナーには、そうした「勲章」のような目標設定がなくなる。
自己ベストは遥か遠くある。10Kのベストは40代後半。ハーフのベストは、52歳のときだった。フルのベストが56歳で、東京マラソンで最後にサブ4を達成したのが68歳。ハーフのサブ2(2時間切り)が2019年である。魚津しんきろうマラソンで、同じく68歳のときだった。
モチベーションの維持には、これまでとはちがう目標設定が必要だろう。軽やかに走る目的を見つけることができずに、停滞のいまがある。記録はさておき、楽しく走れていないのだ。昨年の秋と今年の正月に、10Kとハーフのレースで、70歳代で優勝したことがある。しかし、それもいまのモチベーション維持にはつながっていない。
この先も走り続けるためには、記録を狙って走ることはモチベーション維持にはならないだろう。旅の楽しみとか、友達と一緒に走ってランニングの後で飲むとか、別の目標が動機づけにはなりそうだ。いつになったら、走ること以外の適当な目標が見つかるのだろうか?
この年齢に到達すると、レースを走ることだけでは、ランニングを継続の力にはなりそうもない。見知らぬひとと出会ったり、旅をしながらエッセイを書き続けるとか。代わりの楽しみを見つける必要に駆られる。その瞬間は、いつ訪れるのだろうか?
どこかの雑誌か出版社が、旅をしながら走るエッセイの仕事を、わたしに授けてくれないだろうか?