年の暮れになると、知り合いや仕事の関係の方からお歳暮が届く。年によって傾向があるが、今年は不思議とシクラメンが多い。自分も親戚や友人たち10人ほどに、「当麻園芸」(所沢市)から、シンビジウムとシクラメンを届けてもらっている。元ゼミ生の当麻君と三村君から12月初旬にシクラメンが届くのが、「お歳暮のお花をお届けせよ!」の合図である。
所沢の園芸売店からシクラメンが届くのは、当時ゼミ長だった三村君と、両親が園芸店を経営している当麻君が、仲良く一緒に商売を続けている証拠である。
わたしが、花の団体(JFMA)を立ち上げたころ、ふたりは共同で園芸店を当麻くんの両親から継承することになった。そして、埼玉県所沢市にある「当麻園芸」は、初期のころからのJFMAの会員でもある。
幸か不幸か、これまで、たくさんのゼミの学生や大学院生を花業界に引き入れてきた。1990年代に入ってから、わたしは花の業界に興味をもつようになった。2000年に業界活動で知り合った友人たち20人ほどと一緒に、自らJFMAを立ち上げるかなり前からである。法政大学(産業情報センター、現イノベーションマネジメント研究センター)でフラワービジネスの講座を開いていた。
あれから(サントリーの社員だった坂嵜潮さんと出会ってから)すでに約35年が経過している。たくさんの知り合いを友人とすることができたのも、お花のおかげである。花の仕事を生涯のライフワークとしなければ、これほどたくさんの友人を得ることができなかっただろう。
ところで、わたしは仕事仲間や友人からお歳暮を受け取ると、その日のうちに贈ってくれた相手方に電話を入れる。ふだんは会うことができない地方の方だと、お歳暮のお礼の電話が久しぶりの挨拶代わりになる。この年齢になると、「もしかすると、この電話が最後の会話になるかもしれない」と思いながら、携帯電話のボタンを押して短い会話を終える。
一方で、久しぶりの友人・知人との会話は、自分に元気と生きる勇気を与えてくれる。ほとんどが数分の短い会話で終わるが、それはお互いの安否確認でもある。大学を退職して、個人会社の経営者になったのが70歳。古希を祝うあたりから、その思いがますます強くなった。
わたしたち人間は、社会的な存在だとつくづく思う。何気ないコミュニケーションによって、孤独や辛さから逃れることができる。だから、わたしは自分が元気を失いかけたら、速攻で誰かに連絡をとるようにしている。自分が書いた本を送ったり、映画やミュージカルに誘ったり、食事にご招待する。
一昨日は、日本経済新聞社の中畑孝雄さん(イベント会社・社長)が、神田小川町の「オフィスわん」を訪問してしてくださった。会社の案件で、社内研修の依頼があった。詳しくことはここには書けないが、依頼を引き受けることにした。いまの子会社の様子などを話して帰って行った。
本日は夕方から、PHP研究所の佐藤義行さんが、下町ツアーで柴又帝釈天にやってくる。佐藤さんは、昨年刊行した『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』の編集担当者である。最近になって、わたしのLINE仲間になった。それまでは会社携帯で連絡を取りあっていたのだが、あることがきっかけで、佐藤さんが東北の釜石市の出身だとわかった。
その後は、佐藤さんから田舎に帰郷するたびに、釜石の浜や夕焼けの写真が送られてくるようになった。わたしも、マラソンの写真や自宅の庭で育てている花苗の写真を送り返してみた。不思議なもので、広い意味で同郷(東北地方出身者)だとわかると、仕事モードが一挙にプライベートの反応に変わる。
本日の予定である(わたしからの提案)。午後17時に、京成金町線の柴又駅で待ち合わせる。
この時間だと、すでに薄暗くなっているだろう。最初に、柴又帝釈天の参道を案内する。入り口近くにある草団子の「大和家」に立ち寄って、両餡をご自宅に「お持たせ」する。そのあと、帝釈天にお参りしてから、お寺の裏門から出る。裏道を歩いて山本亭へ移動。海外の写真誌で、日本の庭園のトップ5に選定された、大正時代から昭和初期に造園された庭を見て、お抹茶をいただく。
本日は、1時間しか時間がない。寅さん記念館と山田洋次ミュージアムはスキップ。金町線でひと駅、柴又駅から高砂駅まで乗車。寿司ダイニングすすむさんで夕食になる。
さて、この通りに小旅行は進行するだろうか?佐藤さんが、下町ツアーを体験したいと思ったのは、わたしの私小説で紹介された名所旧跡と名店を訪問したいと思ったからだ。今夜は、わんすけ先生が、その案内役をかって出ることにしたのでした。