桃の節句の日に開催される「東京マラソン2024」を走ることにした。例年応募してきた「先行抽選枠」(外れたら、一般枠に自動振替)のエントリーを見合わせていた。夏ごろから体調が優れず、フルマラソンを走り切る自信を失っていたからだった。ところが、「東京レガシーハーフ2023」(10月15日)を、どうにか歩かずに走り切ることができた。
前回の東京マラソン2023は、先行抽選枠(ONE TOKYO)から申し込んで当選していた。3月5日のゴールタイムは、5時間53分30秒。30KM(日本橋)と35KM(田町)で二度も痙攣を起こしたが、最後はどうにか走ったり歩いたりでのゴールだった。48回目のフルマラソンは完走できた。しかし、ゴール後の思いは、「これが最後になるのかな」だった。
東京2023へのエントリーは、抽選で外れても、スポンサー枠での参加が用意されていた。その枠が2024年まで残っているようだった。そして、2024年のスポンサー枠の締め切り日が近づいていた。関西出張から戻って、さきほどPCのメールボックスを開封した。スポンサー企業の担当者から、わたし宛に確認のメールが届いていた。数分間の逡巡の後で、「東京マラソン2024への参加」を決めた。
来年の東京マラソンの開催日は、3月3日。二週間前の10月23日に、72歳になった。東京マラソン(42.195KM)を楽に走り切る自信はない。しかし、ここでエントリーしておかないと、生涯の目標にしてきた「フルマラソン完走50回」は達成できない。さらに、もう一度はフルマラソンを走らないと、50回完走には届かない。
そこまでのワンステップ(49回目の完走)が必要である。2024年3月3日の午後15時前に、皇居前のゴールラインを跨がなくてはならない。その先には、2度目の「国盗り」(47都道府県のマラソン制覇)が待っている。
本日は、11月11日。「ポッキー」と「チンアナゴ」の日だ。ここから、2月末までは約100日。昨年度、「かつしか文学賞」に応募したときのことを思い出した。あれから1年と1か月。ずいぶんと昔のことにように感じるが、あのときは、10月8日の締め切りに間に合わせることができた。
同じように、フルマラソン49回目の完走も不可能ではないだろう。だから、「東京マラソン2024完走プラン」を本日、練習プログラムとして組み立てることにした。本日の決断を予想していたかのような偶然が起こっていた。一週間前に、半年先までのエントリー候補レースをリストアップしていたのだ。
二度目の「国盗り」のためだったが、先週エントリーしていたのは、来週末の「稲毛夕焼けマラソン」(10KM)と2月の「守谷ハーフ」のみ。東京2024への参加を決めたから、追加で10本ほどのレースを加えて行くことになる。追加で選ぶとなると、距離や地域の取捨選択がむずかしくなる。
東京マラソン2024にエントリーを決めたことで、ランニング生活の最終コーナーに具体的な目標ができた。
かつての記録を振り返ってみると、大幅なスローダウンではある。しかし、まちがいなくコロナで苦しんだ3年間から、ここで抜け出るために、新たな希望が生まれたことになる。
ランニングの神様に、わたしは見放されなかった。きっと、そうなのだろう。