6度目の親子対決@美瑛町(ハーフ)は、次男の真継に完敗

 ご報告です。日曜日(6月11日)の美瑛ヘルシーマラソンは、次男に完敗しました。6度目の親子ハーフ対決でしたが、これで3勝3敗になりました。北海道の6月で、気温25℃快晴。今年からハーフのコースが変更になりました。美瑛町らしく眺望は素晴らしく変わったのですが、走路はアップダウンが激しく、実にランナー泣かせのコースでした。

 

 9KM地点までは、1KM6分5秒のペースで真継に並走。10KM手前で離されて、増田明美さんが待ち構えている「心臓破りの丘」手前で、とうとう歩いてしまいました。美瑛町の丘を走るマラソンは、1998年から25年間、隔年のペースで走っていますが、ハーフマラソンのレースで中盤から歩いたのは初めてかもしれません。

 今週末に、寿司ダイニングすすむさんで、松井忠三さんご夫妻(無印良品、元会長)と会食を予定しています。実は、2001年か2002年のどちらかの年に、網走ハーフ(8月1日)をご夫妻と一緒に走っています。そのときの気温は、30℃を超えていました。中間点の10KMでわたしは一時間を切れず、途中リタイアになりバスに収容されたことがありました。しかし、あれは例外です。

 (*注)ネットの記事で、元アールビーズの藤井さんという方が、1994年に走った時は37.5℃だったと書いていました(「計測工房」vol.016)。

 

 ゴールタイムは、真継が2時間14分。わたしはその後の上り坂(5か所)をすべて歩いてしまい、2時間43分。生涯の最悪のゴールタイムでした(例外は、途中リタイアした2回の大会)。

 孫の穂高(小学校二年生)が、わたしと競技場内の最終コースを並走してくれようとしたのですが、ゴール手前でも歩いてしまいました。わたしのゴールの様子を一緒に見ていたかみさんによると、そのときの穂高くんは、「わんすけ、大丈夫かな。もう走れなくなるのかな?」と心配していたそうです。

 実は、先週の高田城ロードレース(6月4日)を1時間1分で完走してから、体調不良が続いていました。美瑛ハーフまでの一週間は全く走れず。レース当日も、カンカン照りの25℃。コース上にはほぼ木陰がない状態で微風。加えて、20年間走りなれたダウンスロープのコースが、アップダウンの激しいコースに変更になっていました。そんなわけで、途中で走る気持ちが完璧に途切れてしまいました。

 

 来年、穂高君は5KMを走るようです。北海道に来る前日に熱を出して、今年は自宅待機になった夏穂ちん(4歳、年中さん)は、来年は走るのだろうか? 今年はエントリーできなかった母親のアズちゃんと、今度は一緒に走るのか?

 次男の真継は再度、アップダウンの激しくなったハーフのコースに挑むのか?本人(わたし)は、真継に惨敗でした。来年は72歳。年齢が年齢です。再度のチャレンジを決めかねています。でも、きっとまた走るんだろうな。