「反射光」と「透過光」という言葉を知っていますか?テレビやパソコンの光が液晶画面を通り抜けることで、映像を表示するのが透過光。太陽や照明などの光が本や雑誌の表面に反射することで、文章が読めるようになるのが、反射光です。デジタル出版は、透過光で情報を読み取ります。紙の書籍は、反射光で文字や画像の情報を読み手に伝えています。
反射光で読む印刷媒体(紙の本)の未来はどうなるのか? 印刷された新聞がもはや世の中から消滅しそうになっているように、印刷本の未来が気になってネットサーフィンしてみました。その途中で、「紙の本がこの先絶対に無くならないと思う7つの理由」という記事に遭遇しました。
とてもポピュラーな記事らしく、印刷された活字の本が消滅しない理由として、7つの項目がリスト化されていました。
1.紙の質感や紙で読むのが好き
2.コレクションする喜び
3.インテリアとしての本
4.紙ならではの、読みやすさ
5.手軽に読み書きが可能
6.児童への読み聞かせ
7.本以外の付加価値の可能性
どれも納得です。ここでは、いちいち解説することはしませんので、興味のある読者は原文(https://lifeplus.hatenablog.com/entry/hon-7tuno-riyuu)をご覧ください。
ネットを徘徊していて発見した興味深い事実は、電子書籍のシェアが、ここ数年は意外と伸びていないという現実です。電子書籍の普及を阻んでいる理由についても、ネットからはたくさんの記事を拾うことができます。というわけで、書籍販売について、国内市場のデータを見てみました。
2022年の出版市場は、「紙+電子」の合計で、対前年比2.6%減になっています。全体は1兆6,305億円で、4年ぶりに前年割れを起こしていました( 出版科学研究所調べ)。データを詳しく調べてみると、同年の出版物(紙の書籍と雑誌の合計)は、前年比6.5%減でした。
それに対して、電子出版市場は、前年比7.5%増でした。しかし、そのほとんどは、コミック漫画の貢献(電子書籍中の75%)によるものです。コミックを除いた電子書籍は、ほとんど伸びてはいないことがわかります。日本経済新聞に掲載された記事「米国で「リアル書店」人気復活 コロナ契機、開店相次ぐ」(2023年3月5日配信)によると、米国の出版市場では、電子書籍の減衰傾向がもっと極端です(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0701Y0X00C23A2000000/)。
この記事によると、「書籍販売全体に占める電子書籍のシェアは、2013年(28%)をピークに下落傾向が続く」となっています。それに対して、紙の書籍は、「22年の販売高(冊数ベース)は前年比約6%減となったが、コロナ前の19年の水準と比較すると12%高い水準を維持」となっています。米国では、コロナ禍で定着した読書習慣が変わらず、書店の売上は底堅く推移すると見られています。
ところで、編集者(『ハーバード・ビジネス・レビュー』の元編集長)の岩佐文夫さんが、「「本」がなくならないと思う理由、そして進化の方向」(https://note.com/f30103/n/nb8498cf8f789)というブログ記事で、紙の書籍について進化の方向性を論じています。長文の論考なので、簡潔に要約してしまいます。
紙の本の未来は、「本の存在感は変わらないが、形は変わる」というものです。岩佐さんは、3つのトレンドを予想しています。
1.本の点数が減っていく
興味深い指摘です。書籍の出版点数は、2013年がピーク(8万2589点)でした。この年は、米国で電子書籍のシェアが最高(28%)だった年です。岩佐さんの主張は、「書き手にとって、「作品」と言えるものだけしか残らない」でした。
<小川のコメント>
すでに起こっています。「情報」だけが重要な書籍は、いずれ電子化されていきます。結果として、著者の考えを表現した「長編もの」(字数にして+10万字)か、「手触り感」が必要で、「デザイン性」が大切な本だけが残りそうです。逆にいえば、それ以外のものは消滅してしまうので、出版点数は減少していく可能性があります(ピーク時の5分の1程度?)。
⒉.(紙の)本の価格が高くなる
値段が高くなる根拠は、「紙に印刷して読むという行為が、相対的に贅沢なものになるから」だそうです。岩佐さんによると、「 紙の本は、物理的なものとして所有されるようになる」。興味深い指摘は、「今は紙の本のデザインは、書店で目立つことが重視される。しかし、これからは店頭効果ではなく、インテリアとして、そして好きな人の所有欲を満たす「質感」まで組み込んだデザインになる」。
<小川のコメント>
30年間で50冊の本を書いた著者として、これはとても嬉しい予測です。先週、8月に出版する私小説『わんすけ先生、消防団員になる。』の打ち合わせで、装丁を担当していただくアートディレクターの大内おさむさんと、完璧に意気投合したのはこの点でした。
いまの本は、単価が安すぎるのです。なるべく部数をたくさん売る前提で、出版企画が立てられます。そのため、単価を下げて刷り部数を多くします。しかし、それでは著者や出版社は、デザインや装丁では冒険ができなくなります。コストを抑える必要があるからです。でも本当は、素敵な装丁で冒険的なレイアウトやデザインにしたいのです。
わたしの場合、今回は一般書店でも売りますが、企画は自費出版の形式です。印刷部数は自分で決められるので、値段を高く設定して、刷り販売部数は抑えることができます。デザインや本づくりに、コストがかけえれるのです。価格も印刷部数も自分で責任を持って負担できるからです。
金に糸目をつけない豪華な本にして、「所有欲を満たす質感を重視した本」(岩佐氏の言葉)を出そうとしています。ところが、商業出版になると、これが許されなくなります。出版社や取次の意向、本屋の商売と利益が第一に優先されます。知的生産者たる著者の考えは、書籍のマーケティングにはほぼ反映されないのです。
3.紙の本は(転売で)シェアされる
最後に、岩佐さんは、「いまよりダイナミックに古本が流通する未来」を予見しています。デジタル出版の欠点を、中古本の市場形成(再販売ができる市場)で克服できるという論点です。おもしろい着眼点です。
<小川のコメント>
この1月に、デジタルのみの本を出版しました。林麻矢さんと共訳で、ジム・イングリス著『史上最強のホームセンター』(ダイヤモンド社)です。そこではじめて分かったことがありました。デジタル書籍は献本ができないということです。「コピー不可」にしないと商業的に成り立たないからです。同じ理屈で、デジタル本では「中古市場」が成立しません。
岩佐さんは、「(値段の高い)本のリユース市場はもっと発展するのではないか」ということを自身の経験から述べています。わたしもその予想には同感です。たとえば、33年前に友人たち4人で翻訳したアーバン他著『プロダクト・マネジメント』(1989年、プレジデント社)は、いま当時の定価の約2倍(6000円)で取引されています。その後のインフレを考えると、実に定価の約4倍です。
実におもしろい指摘は、「著者や出版社に対価が回る仕組みが整うことが、これが機能する条件かもしれない」(岩佐さん)でしす。所有者がつぎつぎに変わっていく情報が、電子的に記録されることで、「(紙の本は、)子供の頃の学校の図書館で、それまでに借りた人の名前と時期がわかる仕組みと同じだ」(岩佐さん)ということになるわけです。
<本が消えない8つ目の理由>
ここで、ようやく表題の「おおうち仮説」にたどり着きます。すでに、反射光と透過光の違いは説明してあります。
本や雑誌は、反射光で文字を読みます。太陽の光や照明が活字に反射することで、文章が読めるようになるのでした。対照的に、デジタル出版では、透過光で情報を読み取ります。その違い(反射光で文字を読むこと)を、大内さんは、紙の書籍がなくならない8番目の理由だと、一週間前に広尾の事務所で、わたしに説明してくれました。
反射光で文字や画像を読み取るとき、本の内容(物語や主張)が読者の心に奥深くで伝わる。それが大内さんの主張でした。また、ページをめくる行為(触覚を使う)は、本の内容を記憶することと深く関わっているという科学的な証拠があります。視覚と触覚を重ね合わせると、透過光にはない「強い記銘性」(エピソード記憶の深さ)があるのではないかというのが、おおうち仮説のようです。
ふただび、岩佐編集長の言葉を引用します。「本を書き手が魂を込めてつくった「作品」だとみなせば、モノとしての質感はもっと表現されてしかるべきだ。著者の思考の代表性を示すメディアとして、まだ紙の力は絶大である」(岩佐さん)。
紙の書籍では、モノとしての質感を反映させることができます。ところが、デジタル情報には、それ自身は質感がともなわない「軽い」メディア特性しかないのです。透過光のデジタル表現では、著者の魂は伝わらないというわけです。究極を言えば、紙の本は、機能的な「情報の塊」から構成されているわけではありません。もっと情緒的で質的な思想性を伝えることに適しています。
直立歩行を始めた人類(ホモサピエンス)は、集団のメンバー間でのメッセージ伝達方法として、言葉を獲得して使用するようになりました。言語を駆使して文明(科学技術)を高度化してきましたが、一緒に文化(芸術)という表現を言葉を介して使うようになりました。
そうなのです。「デジタル芸術」という表現は存在していますが、その場所は、紙を介した文化とはかなり距離があるように思うのです。大内さんもまだ、そこのところを明確に言語化はできないようです。広尾の一軒家にある「ナノナノグラフィッスク」のオフィスは、しかし、紙の本が床や棚に所狭しと溢れていて、実に「紙だらけ」でした。