【黙祷】本日、下平篤雄さん(日本マクドナルド副社長)のお別れの会

 本日、午後15時~16時、グランドプリンスホテル新高輪「飛天の間」にて、下平さんの「感謝とお別れの会(献花)」が執り行われます。午後は、大事な会合とオンラインセミナーが入っていたのですが、3件をすべてキャンセルして、品川の新高輪ホテルまで行くことにしました。下平さんには、生前とてもお世話になりました。

 

 下平さんには、コロナの真っただ中、2021年(1月9日)に法政大学で、ゲスト講師として講演をお願いしました。当日のタイトルは、「マクドナルド 復活の真実(仮)」でした。講演の前半は、本ブログの2018年6月3日の記事(https://kosuke-ogawa.com/?eid=4626#sequel)で紹介してあります。「日本マクドナルドの復活劇、もう一人の立役者」という記事タイトルです。

 法政大学で講演していただくことになったきっかけは、2018年6月2日に、東洋大学白山キャンパスで開かれた「日本フードサービス学会」で、下平副社長の講演を聴講させていただいたことです。友人の河南順一氏(当時、日本マクドナルド・コミュニケーション本部、のちに同志社大学ビジネススクール教授)から下平さんの講演のことを知らせていただきました。

 下平副社長の講演タイトルは、「日本マクドナルドのFCビジネス」。フードサービス学会の会員以外に、学会所属の20の大学・大学院などの学生さんたちが、250人ほど聴講していました。

 ちなみに、下平さんは、1978年に日本マクドナルドに入社した生え抜き社員です。日本マクドナルド創業者、藤田田氏の下で、日本のフードビジネスの土台を作ってきた人です。フランチャイズシステムの再設計に挑んだ10年間(2008年~)の取り組みを、当日は丁寧に説明されていました。

 

 下平さんの講演内容は、わたしのブログで詳しく紹介されています。簡単に内容を要約すると、1971年に藤田田氏が日本にマクドナルドのFCシステムを広げていったプロセスを、4期に分けて説明していました(*以下の時代区分は、小川のメモによるので、下平講演と同じではないかも?)。

 ・第1期(1970年~) 新しい食文化の創造

 ・第2期(1980年~) 車社会の到来(郊外化、ローカル出店)

 ・第3期(1990年~) ドライブスルー市場(サテライト店舗、市場の飽和)

 ・第4期(2000年~) オーナー・オペレータ不在の時代(藤田田氏の引退)

 この後、株式上場後にBSE問題が発生して、日本マクドナルドの低迷が続くことになります。2003年に原田泳幸前社長が登場して、積極的なマーケティング戦略とバリュー価格路線に転じますが、その後に続く成功と失敗の物語は、拙著『マクドナルド 失敗の本質』(東洋経済新報社、2015年)に詳しく紹介しています。

 解釈は異なりますが、事実そのものは同じです(小川のブログから)。

 

 下平さんの講演の最後は、2015年に転出していたメガフランチャイズ企業(クオリティフーズ@新潟)から本部に戻ってきてからの改革の話でした。2015年以降のFC改革を「第5期」と呼んでいました。

 営業のトップとして実行しようとしていることは、藤田田氏のあとで不在になった「オーナー・オペレータ」(約3800 店舗のオーナー)を、地域分権化(全国を3つの地区に分割)と「地域オーナー・オペレータ」(10店舗以上のオーナー)の育成で乗り切ろうとする施策でした。これは、ローソンのMO制度(マネジメント・オーナー制度)によく似たシステムです。

 複数店舗を経営する企業家的な加盟店主(オーナー・オペレータ)を育て、それを日本マクドナルドのビジネスの核にするのが狙いでした。ローソンの竹増社長に聞かせてあげたい内容です。

 下平副社長の講演を聞いて、この時はまだ改革途上にあった「マクドナルドの加盟店施策」は成功するだろうとの確信が持てました。2007年頃に始まった急速なFC化は、原田時代の事業の低収益性に対する対応施策でした。方向性は間違ってはいなかったのですが、やり方とスピードに無理があったのだろうといまでも考えています。

 しかし、下平さんが新宿の本部に復帰した2015年から状況は変わったと思われます。

 さて、下平さんは、2022年4月18日に出張先で帰らぬ人となります。突然の訃報は、長年の部下だった蟹谷賢次さん(元広報部長)からメールで知らされました。下平副社長は、わたしの一歳年下です。69歳でしたから、それはそれは衝撃でした。皮肉なことに、2週間前の『日経ビジネス』(2022年6月20日号)の第2特集が、「進撃のマクドナルド コロナ禍に勝ったDX」でした。

 特集号の主役は、下平さんでした。インタビュー記事が、突然の訃報に重なってしまいました。コロナが始まる前から、下平さんを中心に、同社はオペレーション(DXベースで)を変えようとしていました。その施策が、コロナ期間中に同社が増収増益を継続できた理由です。全体の指揮を執っていたのが、下平副社長だったわけです。

 本日、午後に、グランドプリンス新高輪ホテルの飛天の間で、お別れの会が執り行われます。黙祷。