年賀状を書き終わって、325枚を郵便ポストに投函してきた。日本郵政のデータによると、年賀状をやめる人が増えている。販売枚数も、一時期の半分くらいに減っているらしい。わたしもここ数年は枚数を絞っている。それでも、最盛期の400枚(2015年)からはそれほど大きく枚数を減らしているわけではない。
とりわけ、今年は教員として最後の年になる。親しい友人たちに向けては、年賀状に短い手書きの文章を書き加えた。多忙な近年では、これはめずらしいことだ。皆さんに、教員から「卒業」の挨拶をしたことになる。
46年間の教員生活は長かった。しかし、振り返ってみると、あっという間に感じられる。来年1月8日が、教員として最後の授業になる。2月22日には、大学主催の特別講義が予定されている。とても感慨が深い。
「無事これ名馬」という言葉がある。現役時代は走り続けてきたので、後ろを振り返る余裕などなかった。名馬だったかどうかはわからないが、駄馬ではなかったと信じたい。30代の半ばで立てた人生の目標は、ほぼ達成できたと思う。振り返ってみる。
(1)日本で一番分厚いマーケティングのテキストを書くこと。
→ 全800頁の『マネジメントテキスト マーケティング入門』(日本経済新聞出版社)を2009年に完成させた。ほぼ毎年のように版を重ねて、いまや11刷りになっている。
(2)50歳で、社会起業家に転身すること。
→ 2000年5月に、「日本フローラルマーケティング協会(JFMA)」を仲間と創設した。日本を「世界一の花の消費国」にすべく、花と緑のプロモーション活動をはじめた。国際展示会、花の鮮度保証、花の環境認証制度、新たな「もの日」(フラワーバレンタイン)の創設に尽力してきた。
(3)法政大学の発展に貢献できるプロジェクトを立ち上げること。
→ 2000年以降、経営学部長就任から6年間で、8つの新学部(人間環境学部、国際文化学部、キャリアデザイン学部、現代福祉学部、スポーツ健康学部、理工学部(工学部の改組)、デザイン工学部、生命科学部)と2つの大学院(イノベーションマネジメント研究科、政策創造研究科)の創設に貢献できた。反省すべき失敗も、学部長・学科長として多々あったように思う。
昨年10月で古希を迎えた。
3月の大学教員を退職した後は、高校生の18歳から、いつの日か実現したいと夢見てきた作家に転身する。
→ 来年2月には、処女作となる『青いりんごの物語』(PHP研究所)を刊行する。その後も、3冊の伝記本が予定されている。
最後に、「物書きとして、人生を終えたい」という20年来の希望に挑戦する。もちろん、経営学者として完全に引退するわけではない。コンサルタントとして新しいプロジェクト(たとえば、国際的な本わさびの産地形成)がこの先、待ち構えている。