2年ぶりの学位授与式(卒業式)が、日本武道館で行われた。今年は3部構成(午前・午後・+1)になった。昨年度の卒業生のために、特別に第3部が追加開催された。学位授与式では3月末で総長を退任し、大学も退職する田中優子総長が最後の告辞を述べている。田中さんのスピーチがメディアでも話題になっている。
全文は、法政大学のHPに掲載されている(https://www.hosei.ac.jp/info/article-20210311135539/)。わが友人や卒業生からは、「田中さんのスピーチ、とても感激しました」とのメールをいただいている。思いもかけず、研究者仲間の小野譲司さん(青山学院大学教授)からも、仕事のメールと一緒に、「田中総長のスピーチ、素晴らしいです」とのコメントをいただいた。当日のヤフー!のトップ記事に掲載されていたので、それを読んでのことだと思われる。
皆さんからの反応を分析すると、田中さんのスピーチは、50歳前後より下の社会人女性(部課長クラス)からの支持が高いことがはっきりしている。男性陣にとっては、小野さんのような反応は多数派ではなさそうだった。素晴らしいスピーチだとの評価はあるものの、年代に関わらず女性ほど共感度が高いわけではなさそうだった。
女性で55歳を超えると、田中さんの主張をやや斜めから眺めている様子がうかがえる。知的な生活を送ってきた女性にありがちな「生活感」が不足しているところが、おそらくは冷めた反応の根底にはあるのだと思う。これは、何人かの企業家の方からいただいたメールを総合して、わたしの推論した印象である。
本ブログで、田中さんの2期6年間にわたる理事長としての仕事について、やや批判的に書いてきた。年齢的に同年代であることや、大学のマネジメントに深く関与してきたこともあり、わたし自身がサポートした二人の総長(清成忠男教授、平林千牧教授)の行動とつい比較してしまうからだ。
とても有能な総長ではあったが、理事長としての実績はいま一つだった。総長としての最大の貢献は、法政大学の社会的なイメージを大いに高めてくれたことだろう。和服でメディアに露出する効果も大きかった。「自由を生き抜く実践知」に象徴されるように、発言も文化的・知的な香りのするものだった。
個人的には、田中さんに大きな負債がある。1991年に、最初の単著(小川孔輔『世界のフラワービジネス』にっかん書房刊)を刊行した時に、社会学部の平野教授(当時)からの推薦で、『雑誌法政』に田中さんから書評を書いていただいている。笑い話になるが、書評の中では本の内容はほとんど紹介されておらず、ご本人の専門の「江戸の園芸文化」のことを厚く書かれていた。
今回の告辞と同様で、それは美しい文章だった。何かの文芸賞を受賞されたばかりで、才能に恵まれたひとだと思ったものだ。そのころから、入学式や卒業式などの式典などでは着物を着こなしていた。
わたしと同じ1970年の大学入学だから、田中さんも69歳のはずである。総長職を辞してから、社会学部教授に戻る選択肢もあったはずだ。しかし、それはやらずに、大学も早期退職することにしたようだ。きれいな終わり方だと思う。
法政大学にとっては、田中教授を失うことはかなり残念なことではある。海外の大学のように、社会的に知名度が高く業績がある教員は、70歳の定年にこだわらずもっと長く雇用してもよいと思う。本学の教授で、芥川賞・直木賞やミステリー小説家大賞の受賞者も多い。
とはいえ、現行の制度では、田中さんを本学に留めるシステムは存在していない。70歳の退職後、田中さんはどのような余生を送られるのだろうか?