報道の分断を論じる:報道の仕方が真逆だ → 真実などどうでもよいのだ。一般大衆の「記事選択」が正しさを決めてしまう危険を懸念する

 2回目に緊急事態宣言が発令された。初日の繁華街の動向を知らせる記事に、書き手ごと明らかな「分断」が起こっている。どちらが正しい報道なのだろうか?どこかがおかしい。たとえば、本日(1月9日)の『日本経済新聞(オンライン版)』の2つの記事が、まったく逆の観察(解釈)を報告している。

 

 以下の二つの記事を見てみよう。最初の記事は、「(発令後も)人出に変化が見られない」と報告している。二番目の記事は、「(緊急事態宣言で)街が寝静まったようだ」となっている。どちらが正しい観察なのだろうか?
 ほぼ同時間帯に発信された、同じ新聞社の記事である。記者たちは互いの記事を見て調整をしてるのだろうか?場所の問題なのだろうか?銀座・新宿VS浅草。そんなに場所に違いはないように思うのだが。

 

 おもしろいことに、ネットでの記事の引用数(リアルタイムのランキングを参照のこと)が明らかに違っている。記事を読む読者の側も、記事の選別(分断)が始まっている。最初の記事(人出に変化なし)が、圧倒的なランキングトップで読まれている。つまりは、一般人は、「人出に変化がないこと」に関心を示すことがわかる。

 その結果として、読者の人気を媒介にして「記事選択」が起こる。世の中の関心は、「下町ローカルな浅草より、都心部の盛り場に人が密集している」となる。一般人の興味が、最初の記事を上に持ち上げる。そして、それが真実であるように報じられる。この現象は、実に恐ろしいと思わないだろうか?

 真実よりも、興味関心が記者の評価点になる。いま起こっているメディアの可笑しな報道は、こうした分断のメカニズムから説明できる。最近のいろいろ不思議な事例が、これにてかなりすっきりするのではないか。

 

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緊急事態初日、なお人出 夜の銀座は20年春の3倍
2021年1月9日 1:45 (2021年1月9日 5:15更新) [有料会員限定]

 

夜8時以降に歌舞伎町を行き交う人たち(8日、東京都新宿区)=共同
政府が2度目の緊急事態宣言を出した初日の8日、首都圏の人出は大きくは落ち込まなかった。2020年春の宣言時と比べると通勤時間帯は品川駅などで人が増え、夜も午後8時を過ぎて営業する一部居酒屋に人が集まった。中小企業は在宅勤務が難しく、小規模飲食店は目先の資金繰りを重視する。経済活動を維持しながら感染を抑えるための課題はなお多い。
(後略)

 
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夜8時、静まる東京・浅草 緊急事態宣言が変えた街
社会・くらし
2021年1月9日 2:00 [有料会員限定]

 

 閑散とする浅草演芸ホール付近(8日午後、東京都台東区)
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、首都圏の1都3県で9カ月ぶりに発令された緊急事態宣言。初日の8日は、外出自粛と営業自粛を求めた「午後8時」が近づくにつれ、街から人の姿は減っていった。地元客が通う居酒屋は空席が目立ち、観光客の姿も消えた東京・浅草を歩いた。

 午後7時過ぎ、飲食店が連なる一角で3人の男性会社員が洋食レストランに駆け込んだ。ラストオーダーを前に慌てて注文。周辺では「まだ大丈夫ですか?」と尋ねる声も聞こえた。大手ファストフード店の外にまでテークアウト客が列をなす一方、午後7時半を過ぎると閉店時刻を前に店じまいの準備を始める飲食店が目立った。
(後略)

 

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 記者が報道したいように、記事を書いているのだろうか。客観的なデータに見せながら、どちらも観察を記事にしているだけかもしれない。つまり、実際には観測記事ではなく、憶測記事になっていることがわかる。
 米国を馬鹿にしてはいけない。いまや世界は分断している。日本もそのような状況に近くなっている。記者の立場でも、すでに報道の分断がはじまっている。事実は、あと一週間程度で明確になるだろう。