対面で議論することの効用: 大学院プロジェクト中間発表会(第二回)

昨日(11月7日)から、大学院のプロジェクト中間発表会が、新一口坂校舎の4つの教室を使用して行われている。本日は、ポスターセッションになる。前期の中間発表会(第一回)は、オンライン(zoom)で実施された。コロナの感染が拡大していた時期で、学生には直接的な指導ができなかったからである。

 

 今回は、対面での発表会になった。それでも、2会場(教室)で行われていた発表を、4会場(クラス)に増やして、参加人数を少なくコントロールしている。教員5人に対して、発表する学生が10人~12人程度に抑制している。

 また、発表の時間もあまり長くならないように、ひとり分の発表時間を短縮している。そのため、学生の発表時間も、教員のコメントの時間もやや短めに設定されていた。学生ひとりについて、10分の発表で5分間のコメントになっていた。早く通常に戻ってほしいものだ。

 

 ところで、世の中の風潮として、オンラインの効用を説く論者が優勢である。確かに、地理的移動の自由さや時間の制限からの解放など、オンライン授業やズーム会議のメリットは小さくない。しかし、わたしは、こと教育に関していえば、現在の情報技術では、オンラインのみの教育には限界があると考えている。

 たとえば、大学院のプロジェクト発表会を例にとると、昨日の第二回発表会(対面指導)と8月に実施された第一回発表会(オンライン指導)には明確なちがいが見られた。対面指導では、学生の発表に対して教員同士が相互にコメントを化学反応させるプロセスが観察された。

 対照的に、オンラインでの発表指導では、学生と教員がワンツーワンで対応しがちになる。ところが、複数の教員が教室に座っていると、その場に独特の雰囲気が生まれる。教員も学生も互いに顔を見ているので、360度で議論の進行を観察できる。俯瞰してディスカッションの理解が深まるのである。

 そうした場では、結果として学生たちのテーマやプロジェクトの進行に関して、教員同士がディスカッションをはじめることになる。学生の発表とテーマをめぐっての「化学反応」が、聞く側の学生にとってはとても勉強になる。グループで討議するのと同じ効果になる。オンラインでは、こうした化学反応がまったく起こらないわけではないが、スケールや納得感が異なっているように思う。

  

 結論である。グループ討議(多対多)を必要とする場では、対面での指導のほうが教育効果は大きいその差は圧倒的である。わたしは、10年ほど前から、一人で院生を指導することをやめている。平石先生と大久保先生と教員3人チームで、複数の大学院生(3人~8人)の指導をしてきた。

 専門分野が異なる教員と組むことで、学生は大きなメリットを享受できる。しかも重要なことは、教員の専門分野が異なることだけではない。学生を指導をする場合のスタンスの違い(役割分担)が明確なことが、最終的な教育効果にプラスに働くのである。教員側で緩やかなチームを編成することで、これはようやく成し遂げられる成果である。教員単独では実現できない集団指導の良さである。

 わたしたち三人の教員チームに関していえば、わたし(小川)の役割は、全体の流れをコントロールすることである。平石先生は、やや厳しく学生の取り組みの甘さや、欠落しているポイントを指摘する役割を担ってくれている。大久保先生は、専門分野(観光やサービス)についてはもちろんのこと、精神的に学生を抱擁すると同時に、プロジェクトに関連する情報を提供してくれる。

 

 このような場の設定では、教員同士のコメントの連鎖が重要になる。ある意味、学生のテーマやプロジェクトに関して、教員が議論を始めるわけである。学生の側から見れば、自分のテーマに関して「専門家たちが学会で討論している場面」を横から見ていることになる。

 院生レベルでの最大の教育効果は、自分以外の「他人の視点」(しかも、当該の専門分野の賢者たち)を垣間見ることである。私たちが取り組んできた集団指導体制は、これまでも最高の効果を上げてきたと自負している。コロナ禍でオンライン会議が普及しているが、わたしの経験では、議論の多角的な発展はオンラインではなかなか起こりえない。

 それには、複数の要因が関与していると考えられる。たとえば、①リアルの場が作り出す、ダイナミックな議論の環境。②学生の相互観察から生まれる緊張感、③教員同士のコメントの連載、④対面での学生と教員の目線の違いや反応時間の速さなど。

 

 というわけで、本日も、ポスターセッションが午前9時半から開始になる。そろそろ出発の準備をしなくてはならない。学生が作成してきたポスターを前にして、今度は教員と学生が議論を展開することになる。なかなかうまく考えれられた、評価プロセスではある。

 ただし、指導を受ける側の学生も、教育する側のわたしたちも、コロナ感染のリスクを抱えながら、リアルな教室の場でディスカッションで対峙することになる。感染防止には、最大限の注意を払わなければならない。