本日、『きつねの窓』(安房直子作品、童話絵本)がやってくる。

 昨夜はなんとも寂しい思いで、一晩を過ごした。わたしは突然、わけもなく寂しい思いに襲われることがある。今回は、一冊の本がきっかけだった。安房直子作の『きつねの窓』(童話絵本)。40年ほど前に読んだ童話で、猟師に銃で撃たれて母親を失う子狐の話だ。

 

 先週の土曜日(7月11日)に、庭の掃除をするため、白井市の旧宅に戻った。三か月もほおっておくと、さして広くもない庭だが、雑草が生えて草ぼうぼうになる。庭の全部はあきらめて、ご近所さんに迷惑にならない程度に、道路から見える玄関側の半分だけをきれいに刈り取った。その前に、千葉ニュータウンまで10KMを走ってきて、しこたま汗をかいた。お風呂に入って気持ちがすこし緩んでいた。

 ふと書棚をみると、司馬遼太郎の対談集『土地と日本人』(中公文庫、1980年)の隣に、安房直子の『ハンカチの上の花畑』(中公文庫、1977年)が並んでいる。結婚した直後に購入した童話絵本で、学生時代のわたしは、真剣に童話作家になりたいと思っていた。安房直子の『きつねの窓』や、別役実の『黒い郵便船』などがお気に入りの作品だった。

 千葉県の市川市から印旛郡白井町に引っ越して35年。その間、西日で直射日光を浴び続けた文庫本は、表紙も本体も立派に日焼けしていた。安房さんの作品は、昭和52年刊行の文庫第一刷。ブックオフでは二束三文だろうが、結構なレアものだった。

 ところが、残念なことに、一番のお気に入りの『きつねの窓』は、2階の書棚でも見つからなかった。気前がいいので、誰かにプレゼントしてしまったにちがいない。でも、もう一度、孫たちに童話の読み聞かせをしたくなった。

   

 その日、葛飾の自宅に戻ってから、アマゾンで『きつねの窓』を注文した。本体価格は1100円で、送料無料。二日後の本日(7月13日)、絵本が到着することになっている。読みたいと思ってオーダーしたのだが、実は、昨日になってから、「しまった」と思っている。子狐のかなしい物語を読むのがつらいのだ。

 そんな思いで目覚めたところ、かみさんの親しい友人から早朝にメールが届いていた。「お母様が昨晩なくなった」という知らせだった。二週間前、かみさんは東京の西側に住んでいる、友人のお母様に別れを告げるため、お見舞いに行っていた。数年前に発病した病気が進行していて、医師からもう先は長くないと言われていた。

 「Sちゃんのお母さん、七夕様まで持つかしらね」(かみさん)。そして、七夕様は、数日前に過ぎていた。「まだ、大丈夫じゃない。案外長生きしてくれていたから」とわたしは答えてみた。神様はきっと、かみさんとお母さんの再会を画策しているのだろうと思っていたのだった。

   

 子狐の母親は、漁師に撃たれて命を失くした。妻の友人の母親(Kさん)は昨夜、不治の病で帰らぬ人となった。そういうわけだったのか。突如、わたしに襲い掛かってきた寂しさの正体は、妻と親しい人との別れの予兆だったのだ。

 そろそろアマゾンから宅配便が届くころだ。仕事のための本は、研究室の秘書が事務的に処理している。自宅で本を受け取るのはめずらしいことだ。きっとアマゾンの大きなパッケージに、安房さんの絵本は楚々と小さく収まっているはずだ。

 孫たちには、どのタイミングで子狐の物語を読み聞かせてあげようか。その昔、市川市から白井町に移住したころは、3人の子どもたちと、「ストーリータイム」を楽しんだものだ。結局、わたしは童話作家になれなかったが、せめて読み聞かせの習慣を孫たちのために復活させてみようか。