【スニークプレビュー】 「(株)ワイエムエス」坂本陽子社長インタビュー(JFMA20周年記念誌『花産業の戦後史(1945年~2020年)』より抜粋)

 この一週間は在宅勤務で、JFMAの20周年記念誌を編集しています。2015年にはじめて、今年度まで25人の企業家にインタビューしてきました。取材帰路の最後に、わたしが解説とメッセージを加えてあります。経営者の皆さんには、ご自身が取り組んできた花ビジネスの個人史を語っていただきだきました。

 25人の方の話をまとめてみると、戦後の日本において、暮らしの中に花や植物がどのように根づいていったのか、花産業がどのように発展を遂げてきたのかがわかります。25社の中には発祥が江戸時代にさかのぼるなど、老舗企業が登場したりします。期せずして、江戸時代から続く花産業の姿などがわかるシリーズになっています。
 本日まで校了になった原稿(17話)の中から、専門輸入商社YMSの坂本さんのインタビュー記録を選んでみました。6月初旬に発売になる『花産業の戦後史(1945年~2020年)』の書籍プロモーションのためです。このブログで、一足早く紹介してみます。
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株式会社ワイエムエス 代表取締役社長 坂本 陽子氏
第4回 2015年11月号・12月号掲載
(取材日 2015年9月7日 インタビュー記録及び編集 野口弥生)
   
■輸入商社を始めたきっかけについて
◆銀行員からイギリス留学
【小川先生(以下、小川)】どうして輸入を始めたのか、お聞かせください。
【坂本社長(以下、坂本)】当初、私はイギリスへ留学していていました。
【小川】どうしてイギリスへ行っていたのですか?
【坂本】語学留学です。一時帰国してまたイギリスへ戻る予定でしたが、帰国後しばらくすると嫂が「仕事を探しなさい」と、新聞広告の求人を持ってきました。求人先の切り花輸入商社東亜通商に電話すると面接の日を指定され、その日がたまたま空いていたので受けに行きました。すると「すぐに来てくれ」と言われました。英語ができる人という募集だったのですが経理もすることになりました。商学部だったので簿記は2級まで持っていました。ただ実務経験はなかったので税理士事務所へ勉強しに行きました。それが1979年だったと思います。
【小川】私は簿記が一番苦手な科目です。
【坂本】その当時は、みんなが受けるから受けようくらいの気持ちでした。2級取得後、これは私に向かないと思って、そこでやめました。大学専門の時、簿記にはもう興味無いと思っていたら、教授が「坂本さんこれからは英語だよ」とアドバイスを下さり、そこから英語を勉強することになりました。
【小川】それから留学したのですか?
【坂本】いえ、大学を卒業してすぐに銀行へ入りました。3年半銀行にいました。東京の銀行と大阪の銀行に受かったのですが、東京へ行くのは嫌だったので大阪の銀行に就職しました。
【小川】僕と逆ですね。僕は大阪へ行くのが嫌で大阪の大学の仕事を断ったことがあります。銀行ではテラーですか?
【坂本】3年半いて、最後はテラーでしたが、最初は計算係に配属されました。一日の取引をしめて1円までお金を合わせる仕事です。
   
◆東亜通商に入ってから独立まで
【小川】東亜通商では、どこから花を輸入していたのですか?
【坂本】台湾の菊です。シンガポールの蘭が始まり、タイの蘭、ハワイのアンスリューム、その次にアメリカ西海岸のグリーンです。
【小川】まだオランダは出てきていませんが、まさに日本の輸入の歴史ですね。
【坂本】そうなりますね。35~36年前の話になりますね。もちろん、もっと早くから輸入をされている会社もあります。当時の社長は自分で菊を作っていたのですが、輸入した方が楽だし安いと思い輸入を始めたようです。
【小川】東亜通商さんには何年いらっしゃったのですか?
【坂本】7年半です。
【小川】それから独立されたのですね。
【坂本】そうです。東亜通商はその頃、アジア圏との取引を中心としていたのですが、私は若かったので、まだまだ色んなことにトライしたかったのです。オランダから入ってくる花など指をくわえて見ているだけでした。それが嫌でした。アジアから花を輸入するのはもう当たり前でしたから、違うところから花を輸入したかった、これが独立した一番の動機です。
  
◆独立してから
【小川】独立して、初めはどこから花を入れましたか?
【坂本】シンガポールです。以前取引のあった会社が別会社を作ってくれて、そこと取引できることになりました。その次はタイ、ハワイ、アメリカからも入れました。
【小川】オランダから花が入ってきたのっていつぐらいですか?
【坂本】たしか1980年前半くらいではないでしょうか。
【小川】確か私がお花に携わったのが1986年ごろだったと思います。その頃はもう輸入商社はたくさんありましたよね。
【坂本】そうですね。私が独立したのが1987年5月です。
【小川】社員さんは何名いらっしゃいますか?
【坂本】正社員は24~25名、パートさんは40~50名います。関西国際空港の臨空に工場があり、そこに繁忙期には50名程のパートさんがいます。
【小川】最初始められた場所はどこでしたか?
【坂本】豊中です。梅田生花さんの近くに倉庫を借りて、天井が高いので2階を作り、合計で60坪くらいありました。もともと空港が近いので騒音がうるさく、阪神淡路大震災の時が大変でした。FAXの受信はできるが送信ができない。高速道路も使えない。1987年にスタートして8年目の出来事でした。
   
■ワイエムエスの魅力
◆マムの仕入れ
【小川】バブルがはじけて全体が下がり始めても、YMSは業績を伸ばしていますね。その要因は何でしょうか?
【坂本】マレーシアです。マレーシアの菊の輸入が始まったので業績を伸ばすことができました。
【小川】きっかけは何だったのですか?
【坂本】菊の輸入は、当時韓国のKumi社と取引していました。しかし作付けなどに対してこちらのリクエストを聞いてくれなかったことがあったり、また同業他社に商品を出荷したり、そういったことがきっかけでマレーシアに行くことになりました。韓国に固執していれば、マレーシアから輸入することはありませんでした。私は生産のことはよく判らないので、日本の菊の生産者に同行してもらい、マレーシアへ行きました。その生産者が「ここの菊はすごい」と言ってくださった農場と現在取引をしています。
【小川】気候とか、生産条件などわからないということで、目利きの人を一緒に連れてマレーシアに行ったのですね。
【坂本】そうです。その方の一言で、確信を持つことができました。
【小川】マレーシアの人から見たら、何を基準に日本の輸入業者を決めているのでしょうか?最終的には、人間性を見ているように思うのですが、いかがでしょうか?聞いた話ですと乗り換えもあったりするということですが、決め手は何だと思いますか?
【坂本】人を見ているのもあると思いますが、支払いだと思います。あとは委託か買い取りかです。委託ですと物が悪くて値段がつかなかったりなど、また聞きですが委託はわりとトラブルが多いようです。
【小川】御社は委託ですか?
【坂本】当社は買い取り中心です。買い取りにしないといいものは届きません。値段交渉と支払いをきっちりすることが大切です。そもそも輸出する側は取引先を選べるので、値段で動く傾向があります。実はマレーシアに行ったときにシンガポールの取引先に同行してもらったのですが、その時にマレーシアの生産者たちはワイエムエスの支払いはどうかと聞いていました。彼が全然問題ないと言ったので、当社との取引を決めてくれたのだと思います。やはり支払い状況がどうかというのは、とても大切なことです。もちろん、生産者との信頼関係を築いていくことも大切にしています。今は年に一度ヨーロッパへ生産者と一緒に行き品種を選定しています。
【小川】作るものから一緒に選定しているのですか?
【坂本】はい。勝手に決めません。一緒に行って、作る条件などいろいろ聞いてそれから決めています。いいと思ったものは一度試作し、品質が大丈夫か、輸送に耐えるかを確認します。それでダメならもう一度はじめからやり直しです。
    
◆やっぱり品質
【小川】輸入というと為替の問題がありますが、御社ではどのように取り組んでいますか?
【坂本】為替予約をしています。ギルダー(ユーロになる前のオランダ通貨)の時に、為替差損で大きな損失を出したことがあり、それから予約をするようになりました。全部はできないので支払金額の5割、半分くらい行っています。いいような、悪いような。ただ為替は予測ができません。
【小川】金融工学的なところがありますし、結局は予測できないですね。
【坂本】わからないですね。仕方がないと言って諦めるしかない場合もあります。
【小川】今のように円安になると、輸入業者は減っていきますね。
【坂本】円高の時に増えた人たちは、いなくなったかもしれません。この仕事は長く続けることが必要で、短期間で儲かるような仕事ではないと思います。需要が増えるときも無理して輸入はしません。少し丘ができる程度の輸入量です。
【小川】なるほど。生産サイドは、100日ペースなどで作っているのですから、そうですね。
【坂本】急に増やすことはできません。
【小川】相手も安定取引したほうがいいのですね。
【坂本】そうですね。カーネーションなどはやはり、売り上げの山があるのですが、そういう時に無理に入れるとクレームがきます。なるべく安定した供給をするようにしています。需要があるからと言って、スポットで買うと値段も高いし品質も下がります。
【小川】スポットは、なるべくやらないということですね。
【坂本】そうですね。ほとんどしません。
【小川】カーネーションはどのくらいの比率ですか?
【坂本】総売上げの15%くらいです。輸入先は、主にコロンビア、トルコ、ケニアです。
【小川】いろいろ聞いていて思ったのですが、やはり御社がこだわっているのは品質でしょうか?
【坂本】当社は物量競争はしません。こだわるのは品質です。物が良ければ損してもかまわない。悪いものを売って儲けるなといつも言っています。絶対です。長続きはしませんから。
   
◆人間力
【小川】会社としての強みは何でしょうか?
【坂本】現地の人間に好かれている社員が多いかもしれません。商売というのは人間と人間のつながりですから、「買ってやっている」という態度はとりません。同じ目線でお互いに理解し合ってやっています。社員は皆、現地の人達とうまくコミュニケーションをとってくれています。 取扱い品目が多いので、品目毎ではなく、輸入相手国毎に担当社員をつけています。 また、当社事務所は、ここ一カ所ですし、同じフロアで顔を付き合わせて仕事していますので、各国の状況は把握できます。私も社長室には入らず、皆と同じフロアにいます。
【小川】オープンなフロアで皆さん国関係なく、やり取りができているのですね。
【坂本】そうですね。そういう意味では社内コミュニケーションはとれていると思います。
【小川】あとは空港ですか?
【坂本】そうですね。着いたものは、リパックするものと、そのまま出荷するものがあります。以前は全国の主要国際空港を利用していましたが、現在は、主に関空と成田空港です。あとは船便です。
【小川】船便はどのくらいくるのですか?
【坂本】レザーファン、コットンフラワー、そしてアメリカのクリスマスツリーで船便を利用します。以前は韓国からの菊も船便でしたが、現在取引はありません。
【小川】ではほとんどが、空輸なのですね。
【坂本】カーネーションを船でという話もあるのですが、鮮度と日持ちを大切にしたいので断っています。というか怖いです。みんなにはやらないのかと聞かれますがやらないですね。葉物は船便使いますが花物はどうしても無理です。
【小川】ヨーロッパでは花を運ぶのは船便が多いです。あとベトナムに行った時も、菊は船便が多いと聞きました。
【坂本】品種の選別と温度をコントロールすればいいと言いますが、私は生ものなので抵抗があります。
【小川】輸入はバラが伸び悩んでいますが、やはり鮮度保持の問題でしょうか?それともテイストが合わないのでしょうか?
【坂本】テイストを日本に合わせようとしているのですが、コロンビア、エクアドル、ケニアにしてもヨーロッパ、アメリカ向けに作っていますから、マーケットの小さい日本向きの商品は作っていません。 また輸送に弱く、単価的に日本のマーケットで採算に乗らないことも大きいと思います。
  
■お花にまつわるエピソード
◆花贈りについて
【小川】お花をもらった記憶や、なにかお花にまつわるエピソードがあれば教えていただけますか?
【坂本】還暦祝いの時に抱えきれないくらいの花束を、友人のカメラマンさんからもらいました。あとは創立25周年記念の時に、京都生花の久守さんから、「坂本さんは花を扱っているけれど・・」と言って、赤いバラの花束をもらいました。
【小川】普段はあまりもらわないですか?
【坂本】花を扱っているので、パーティ開いても、ワインなどは持ってきてくださっても花はないです。
【小川】オランダでは、お花関係の人たちのパーティでも、お花を持ってくる人が多かったですね。花屋だから花をもらわないということはないです。花屋が花屋にプレゼントしたりしています。
【坂本】そうですか。確かに、気持ちですものね。
【小川】ワインだけではなく、ワインと花を持ってくる人が多かったと思います。ウィークエンドフラワーを展開していくためにも、花は特別なものですが、普通にあるものとしてカジュアルにしていかないと広がりません。
【坂本】そうですね。特別なものではありません。
【小川】花は高くないし、お菓子のギフトのように1500円くらいでちょっとした花をプレゼントしあう習慣があるといいですね。
【坂本】本当にそう思います。大きくなくていいですよね。学生時代に花を1輪部屋に飾っていた頃があり、本当に癒されていました。
【小川】そうですね。今はどんな時に花を買いますか?
【坂本】仏様用とお墓参りの時です。あとお呼ばれには必ず花束か花鉢を持っていきます。
【小川】私は、毎週家に生協から花が届きます。あとはフラワーバレンタインやお誕生日などに、どさっと贈ることが多いです。坂本社長にも次の誕生日に贈りますね。
【坂本】楽しみにしています。花贈りは、社員にも言っています。奥様にお花を贈るようにと。でも実際は、なかなか買っていないようですね。
【小川】贈るのは習慣にしないと、なかなか買わないですね。私の場合は、奥さんに毎年誕生日というわけではありませんが、クリスマスだったり、色々パターンを変えて贈っています。
【坂本】そうですか。では弊社でも奥様へクリスマスプレゼントとしてお花を贈るようにしましょう。花は私が手配して、社員の給料から天引きにするとか。
【小川】それは普及するかもしれないですね。花とワインという組み合わせがとても喜ばれたことがあります。
  
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「坂本さんへのメッセージ」
坂本さんのインタビューそのものが、日本の切り花輸入のミニヒストリーになっていました。30数年にわたる坂本さんのお仕事の変遷を伺って、花の輸入先国を変えてきた事情がよく理解できました。これからも、専門輸入商社のビジネスは事業的にはまだ大きく変わっていきそうです。
輸入商社の社長さんたちとは、国内より海外の展示会や産地視察、オランダの花市場などでお会いすることが多いです。坂本さんとは、2000年ごろの北京花博のついでに寄った紫禁城で遭遇してことが忘れられません。わたしにとって、坂本陽子さんは「専門商社の怖い女社長さん」でした。少しだけ仲良しになったのは、マレーシアの取引先を紹介していただき、現地の出荷や生産の事情を学ばせていただいことがきっかけだったように思います。同世代ということもあり、インタビューでは英国留学のことや独立して輸入商社をはじめた経緯などを伺いました。
坂本さん自身が明確に述べられていますが、切り花の輸入ビジネスの胆は、人間関係づくりと花の品質だと確信してご商売をされているように感じます。新型コロナウイルスの感染拡散で、主要取引先の東南アジア各国から現在(3月31日)、航空便での切り花輸入がストップしています。取引国からの航空機の減便や運賃の上昇などにより、入荷がかなり厳しくなっています。品質面で船便は使わないと公言されていましたが、さて、緊急事態での対応は今後とも続いていくかもしれません。坂本さんの舵取りに注目してみたいと思っています。
(小川 孔輔 2020年3月31日)
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「坂本社長からのメッセージ」
20年も経つのですね? 本当に時間の経つのは早いものです。
花業界をリードする組織がなかった中、JFMAが創設され、様々な問題を抱えるこの業界を導いて下さっている事に感謝します。これからも業界のリーダーとしての活躍をお願いします。