【調査結果】 ダシュン・ワン/ ベンジャミン F. ジョーンズ 「惜敗の経験と辛勝の経験、どちらが将来の成功に寄与するのか」『DHBR』

 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー(DHBR)』のオンライン版(2019.11.07)に、標記の興味深い論文が紹介されていた。サブタイトルが「科学者1000人以上の調査から検証」という学術論文である。詳しくは、をご覧いただくとして、個人的な経験から、この論文の結論についてコメントを付け加えてみたい。

 

 著者らの結論は、つぎのようになっている。

 「(前略)さまざまな研究が、キャリア初期で成功を収めることで評価や名声が高まり、さらに成功しやすくなることを示している。だが、筆者らが1000人以上の若手科学者を対象に調査を実施したところ、助成金獲得の戦いで辛勝を経験した人と惜敗を経験した人を比較した場合、後者のほうが将来、より大きな影響力を発揮するという事実が示された。」

 この学術助成金のデータをもう少しばかり一般化して、彼らはつぎのように結論付けている。

 「対象者は、重要な研究助成金を辛うじて獲得できた人か、あと一歩で逃した人だ。その人たちのその後を調べたところ、長い目で見ると、惜敗を経験した人のほうが平均して影響力の大きな業績を残していた。」

 

 「惜敗組」が後に高いパフォーマンスを達成しているという仮説は、学術研究には当てはまるかもしれない。しかし、通常のビジネスの社会では、常識的な結果のほう(辛勝組が長期的なパフォーマンスが高い)が妥当なのではないのか? わたしの考えをサポートするために、以下では恥を忍んで個人的な体験を紹介してみたい。

 わたしは、学生時代から社会人生活を通して、常に「辛勝」の場面を経験してきた。戦いが楽勝だったことはごく稀である。具体的に、生涯の試験(選挙)に関する辛勝の事実を列挙してみることにする。

  

 1 中学校時代(2年生の冬)のこと。担任のS先生に唆されて、生徒会長に立候補してしまった。学内で知名度が高く人柄も温厚な有力候補者の友人Aくんに対して、ほぼ無名のわたし(マイナーなクラブ、吹奏楽部長)が選挙で勝てると思った先生はいなかったはずである。しかし、3年女子軍団の応援を得て「わずか数票差」で当選を果たすことができた。

 2 大学受験は、試験の開始時間に遅刻してしまったりで、本番の試験は出来がよろしくなかった。どうにか合格(辛勝)は果たしたが、その先の学生生活は憂鬱だった。しかも本当の試験の出来は最後までわからないままだった。

 3 学部卒業後に大学院を受験した。その後に指導教授から聞いたところでは、わたしの成績は合格者18人中の18番目だった。どん尻でのスタートだったが、このときは「ラッキー」と思った。不合格になると、翌年の就職を心配することになるからだった。

 4 現在奉職している大学では、総長選挙の選対本部長を6回任された。戦績は4勝2敗である。最初と最後は候補者を落選させてしまった。私の判断ミスで候補者には申し訳ないことをしたと思っている。しかも、残りの4回の選挙は、いずれも数票から数十票差の辛勝だった。(*注:事柄はすでに時効なので事実を明らかにしてしまうが) 

   

 ここから何が読み取れるだろうか? 自らの経験に照らしていえば、辛勝(惜敗)には3つのパターンがあるということだ。

 ①客観的に辛勝なのか楽勝なのか、惜敗なのか惨敗なのかがわからない場合。

 大学の入学試験など(2)は、合否はわかるが、詳しい戦績(点数)はわからないままである(最近は、科研費助成研究ではスコアを開示するようになったが)。だから、辛勝・惜敗によってその後の努力や離脱の方針が決まるわけはない。DHBRの仮説(学術研究の助成金)は、したがって、その正当性を論じようがない。

 ②辛勝・惜敗に対して、事前の期待が反映される場合。生徒会長立候補(1)の事例が該当する。(1)ではそもそも、勝っても辛勝が当たり前、どちらかといえば惨敗になりそうな状況を本人も覚悟(期待)していた。たまたま応援団がついて辛勝しただけのことである。この場合、自身の能力や人気に対する「過信」はありえない。

 ③辛勝と惜敗は、連続している起こる事象の一つである。(4)が典型的である。通常の「辛勝・楽勝、惜敗・惨敗」のゲームは、一回で終わるわけではない。その後に何度も繰り返される戦いの一コマである。だから、観察者(分析者)は、連続的なゲームでの勝敗を分析すべきで、一度の勝利や敗戦で対象者の行動(パフォーマンス)を判断すべきではない。仮説が単純すぎると考える。

 

 DHBRの助成研究についての追跡調査は、「通説を打ち破る結論」を導いているので、それ自体の着想はおもしろいとは思う。ただし、ビジネスの世界では、トップ経営者や起業家などのモチベーションや行動は、研究者のそれとはかなり違っているのではないだろうか?

 わたしは、経営者的なリサーチャーなので、とくにそのように考える傾向が強いのだとは思う。両者(ビジネスとアカデミズム)の間でのいちばんの違いは、敗戦を受け入れる態度だと考える。成功しているビジネスマンは、勝利に対して決しておごることがない。相手の行動を注意深く観察している。

 アカデミズムの世界では、競争者が協力者に変わることがある。競争のルールが、基本的に実業界とは異なっている。実は見える世界での戦いが多い。辛勝でも惜敗でも、つぎの楽勝を呼び込みための契機になる。研究プロジェクトを上手に組織するものが、最終的な勝利者になる。

 単独でノーベル賞を受賞する研究者は、いまや例外的な存在である。平和賞と文学賞くらいだろう。