2019年8月17日、6年ぶりの北京は快晴だろうか?

 明日から2泊3日で、「北京の花博」を視察に出かける。6年前の2013年4月15日前後に、北京と上海に滞在している。そのときも、上海と北京で隔年開催されている「中国花博」を見学するためだった。当時のブログ(4月16日)に、「北京から上海に移動します!」とあった。PM2.5は飛んでいなかったが、空気はすごく汚れていた。

 

 またしても既視感に囚われる。6年前の4月15日のブログタイトルは、「北京快晴」。再度、引用掲載してみる。時系列で自分の行動をトラッキングしてみるのは、意味のあることだ。

 

 「北京快晴」(2013年4月15日)

 4月15日、朝7時半。昨日から北京にいる。快晴だ。黄砂もPM2、5も気配すらない。街を歩いていても、ほとんどを誰もマスクをしていない。鳥インフルエンザで一人が死んだくらいでは動じないのか。この国には13億人が住んでいる。
 岩崎一彦さん(第一交易、元院生)の案内で、北京市内では最も新しく開発された商業地区を見た。新光天地。台湾系の百貨店が運営しているモールである。名だたるブランドはほとんどが入っている。ARMANI、VUITTON、Dior、COACH、GUCCI。

 客が入っているところと、そうでもないところがばらばら。むしろ、パーティー用のドレスを扱っている店舗にひとがたくさん入っている。中国人の接客とは思えない、客なのか店員なのかわからないが、楽しそうににこやかな売り場、不思議な光景に出くわした。ブランド名は?、わたしには読めないスペル。

 

 このころ、中国では反日運動が激しかった。尖閣列島をめぐる争いが、反日の炎を燃え上がらせていた。わたしが既視感にさいなまれるのは、いまの韓日のごたごたを見ているからだ。歴史は繰り返すのものだ。

 昨日は、日本にとっては終戦の日(8月15日)。わたしたち日本人も、多くの尊い命を失った。しかし、戦争責任があるから、第二次世界大戦で失った命のことを語れない。日本はアジアの中で、これからも陰鬱な時代を過ごさなければならない。終わってしまったことだが、100年経過しても隣国は忘れてくれはしない。

 そして、明日、もう一方の国に渡ることになる。中国、あまり気分が高揚しない。心は動かないが、それでも北京。

 

 JFMAの北京花博ツアーには、正副会長(小川孔輔、三好正一、松村亮佑)・事務局長(松島義幸)以下、8名がメンバーとして加わる。リストの中に、ひさしぶりの阿比留みどりさん(ヒューマンコミュニケーションズ代表)の名前を見つけた。三和陸運の井上博保社長もいる。

 

 <行程表>

 8月17日(土)

  羽田空港 午前7:00集合(国際線ターミナル3F)

  羽田空港発 JL-021便 09:05

  北京空港着 JL-021便 12:05

  市内観光など、夕食「四川料理」、ホテル泊

 8月18日(日)

  「北京国際花博」(北京市延慶区)視察

  市内ショッピング、夕食「北京料理」、ホテル泊

 8月19日(月)

  市内観光など、ランチ「飲茶」

 北京空港発 JL-022便 16:20

 羽田空港着 JL-022便 09:05

 

 ずいぶんとゆったりした三日間だ。しかし、明朝はやたらと早い。

 白井にいたら、前泊をするか、かみさんに送迎してもらうところだ。