本日は、次の本の「あとがき」を書き終えました。そのためなのか、自宅の机の前でぼーっとしています。その分ですが、ある妄想が頭の中を去来します。パラノイアなのかもしれませんが、、、第二次世界大戦も東日本大震災も、誰もが危ないと予想していた災害でした。事前準備をしていなかったため、大惨事に終わった歴史的な事件です。
約100年前に、「天災は忘れたことにやってくる」と言ったのは、物理学者の寺田寅彦先生(東京帝国大学教授)でした。むかしのひとは偉かったものです。
第二次世界大戦の終結から74年。自由貿易体制が世界の人々の幸せを増進する。経済理論を信じて運営されてきた自由貿易の枠組みの下、わたしたちは長く平和な時代を享受してきました。とりわけ資本主義社会に後発で組み込まれた日本などが、自由貿易の恩恵をもっとも大きく受けた国のひとつでした。
しかし、先進国における所得の不平等と格差の拡大、雇用不安からこの大前提が壊れかけています。中国やインドのような中進国が、先進国の技術的優位を脅かすようになり、事態はさらに複雑になっています。わたしたち日本人は、化石燃料や食糧などの多くを、米国や豪州、ブラジルのような開発途上国に依存しています。
エネルギーと食糧の自給率が低いことは、自由貿易体制の合意があるうちは問題になりません。しかし、国際情勢は転換点にあります。若いころ大学で教わった経済学の前提条件(比較優位の原理により、自由貿易を推進することが世界の人々に豊かをもたらす)が壊れようとしています。
貿易政策がいまや経済戦争の道具に化している現実があります。どこかで保護貿易論(重商主義の現代版)を標準的な競争のルールに想定する準備が必要ではないかと思います。貿易の不均衡を問題視しているのは、特別な国の特殊な人たちだけに限りません。
世界のマジョリティが、経済封鎖を望んでいるわけではありませんが、「自国第一主義」と唱える心情の根底には、民主主義と自由貿易礼賛に対する敵意が潜んでいます。正しいとか間違っているとかの議論は、この際は問題ではありません。
それぞれの国(民族)の各層がどのような思想を持っているかが大前提です。利害関係の構造や思想傾向には議論の余地がありません。自分たちの思想や利害をどのように考えるかは、人々の自由なのですから。
しかし、わが国では困ったことが起こっています。日本国の官僚や政策主体は、新しい現実に向き合う準備ができているのか疑問に思うのです。一般国民も同様です。わたしの認識では、経済的な鎖国状態が生起する可能性が高まっています。情報機器の組み込み部品に必要な産業用のパーツを作るための鉱物資源や、明日の命をつなぐため不可欠な食糧供給が入手不可能になったら。
目の前に迫っている危機に対して、わたしたちは充分な準備ができているのでしょうか? 危機到来する前に、複数のシナリオをシミュレーションするときではないでしょうか? どこかでトランプ大統領や英国のEU離脱派について、彼らの意見が異常で特殊だと考えていないでしょうか。
北朝鮮の金政権や中国の習近平首相は、決して浮世離れした存在ではありません。新しい現実の一部を体現しているように思います。このごろ、そんなことを考えていると、この国の未来に絶望しそうになることがあります。わたしは異常な感覚の人間ではないと思っています。みなさんはどのように考えますか?
ここでいう「鎖国」とは、日本が国境を閉じるという意味ではありません。国外から、必要なもの(産業資材と食糧)が国境を越えてやって来なくなるという意味です。「準自給自足経済」に逆戻りする可能性があります。いやその立場に追い込まれる可能性を指摘しているのです。
グローバルな加工貿易の結節点にある日本の産業循環サイクルが、完全に崩壊してしまうのです。これは決してパラノイア(妄想)ではありません。この事態が起こる前に、「準自給経済」のシステムを構築する必要を感じます。その日は突如やってくるような気がします。しかも、そんなに遠い日ではなくは、ごく近くの日に。