元ゼミ生の神谷佳緒里さんから、「4月で55・58年館が解体されますで!」との連絡が入った。解体工事のニュースを知ったので、「3年先にやるわたしの最終講義を、3月中に58年館でやろうか?」と彼女に逆提案をしてみた。昨日、神谷さんが大学事務室に問い合わせたところ、残念な答えが戻ってきたらしい。
「昨日の件、総長室と会議室案内所に問い合わせたのですが、どちらも同じ回答でもう3階以上は立ち入り禁止でした。サイトには4月からとありましたが、実質、工事が始まってるみたいで。2階は事務室があるくらいで教室のような部屋はないと聞きました。58年館を外から眺める青空ゼミしか出来ないようです(T_T)」
そんなこともあって、わたしのインスタグラム(ID=wanwanwansuke)には、神谷さんから送られてきた旧55・58年間の写真三枚を張り付けた。一か月先に取り壊されて、完全に跡形もなってしまう建造物にまつわる思い出をつづってみた。
この奇妙な建物には、法政大に就職してからの個人的な記憶がたくさん詰まっている。わたしの授業を教室で受けた多くの人に、そのことを伝えてみたかった。以下は、インスタグラムからのコメント(3月5日)に、若干の文章を付け加えて編集したものである。
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<2019年3月5日のインスタグラム>から
私の記憶。作家のプルーストばりに長くなります。
43年前の1976年に、経営学部に助手として採用されました。初めて教えた教室がこの建物の中にありました。担当科目は外国語経営学書購読。英語で経営学のテキストを読むというクラスでした。
あるとき、後に広島カープに入団する硬式野球部のスラッガー、小早川毅彦選手が三年生の時にわたしの授業を受けにやってきました。5階か6階の小教室のはずです。そして現役を引退した後にNHKの解説者になった小早川君は、未修得の単位を取得するため、経営学部に再入学を希望してきました。実は正式には卒業できていなかったのですね。経営学部長のわたしが、小早川解説委員を面接しました。その場所が、この建物の応接室でした。はるか昔の懐かしい記憶です。
建物は55.58号館と呼ばれていました。デザインがユニークで奇妙な構造をしていたので、噂では建築学会賞を獲得したと聞いています(写真2)。本当かどうかはわかりません。設計は建築学科の教授だったはずです。北側に長い廊下があったり、写真のように、ブロックの隙間から外堀側の景色を見られたり(写真1)、一見して無駄なスロープが非常用階段として設置されていたり(写真3)。いかにも法政大学らしかったですね。今のモダンなビルのように、美しくも機能的なデザインとは対照的な外観でした。
市ヶ谷キャンパスで最後に残ったこの建物は、4月に建て替え工事で解体されるらしいのです。余計なことですが、オリンピックを間近に控えて、都内では建築費が高騰しています。そんな折りに、100億円規模の建築工事を契約するなんて、間抜けな経営判断だと思います。あと1年も待てば、建築コストは半分で済んでいたはずです。教職員の給与や研究費のカットはやらなくて済んだと思います。
とはいえ、ひとつの時代が終わりかけています
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