昨夜は、みちのく銀行の工藤秀樹支店長と、社外取締役で公認会計士の西谷俊広氏と、浅虫温泉の老舗旅館の椿館でミニ宴会。会社派遣で経営大学院で学んでいる吉川純君が、卒業研究のため、2人にインタビューする目的で企画した宴席だった。いただいたヒントは、いずれ吉川君のプロジェクト報告書に活かされるだろう。わたしにとっても有意義な時間だった。
ところで、青森駅で吉川君に拾ってもらったあと、彼の車で浅虫の温泉街や隣町のホタテ館などを視察した。人口30万人の青森市の中心部から、浅虫温泉はかなり離れている。電車で約20分。昔は東北本線の特急電車が浅虫駅に停車していたらしい。
ピーク時の半分に落ちてしまった宿泊客の減少は、東北新幹線の開通で特急電車が浅虫に停まらなくなったからでもある。しかし、温泉街が衰退した原因は、別のところにありそうだ。
浅虫温泉は、かつては東北の熱海と呼ばれていた。高度経済成長期には、県外から大勢の団体客を誘致して大いに繁栄していた。秋田に生まれたわたしでも、名前がよく知られた温泉地だった。しかし、幸せな時代は長くは続かない。個人旅行が中心に変わった経営環境の変化に対応できず、40軒あつた旅館はいまは10軒を残すだけになっている。
そんな中で、みちのく銀行の工藤支店長は、不況の中で生き延びた旅館の旦那衆と密に接触しながら、温泉街再生の突破口を見つけようと様々な改革に手を染めている。熱海の温泉街復興で中心的な役割を果たした市来広一郎さんを彷彿とさせる。
昨夜は、最近になって店を始めたカフェの成功事例などの話を伺うことができた。温泉視察の目的の一つは、熱海再興の立役者だった市来さんのような人物を探すことだった。改革のハブにいる工藤さんを発見したので、吉川君の目的は半分は達成されたことになる。
つぎのステップは、吉川君のプロジェクトに工藤さんからどの程度、具体的な協力が得られるかがポイントになる。工藤さんを近々、大学近くにある神楽坂に招待することがわたしの使命になった。
温泉に浸かってミニ宴会を始める前に、移転する前に旧水族館があった場所に夕焼けを見に行った。陸奥湾と浅虫温泉と青森市内が、ぐるりと一望に見渡せる海岸の先端にあるビューポイントである。
石川さゆりのヒット曲に、津軽海峡冬景色という演歌がある。青森から連絡船に乗るシーンが曲想になっている。こぶしが効いた曲である。作詞者が誰かは覚えていないが、この曲がポピュラーになったせいなのだろう、津軽海峡には厳しい冬のイメージがある。横殴りの吹雪としばれる寒さを連想させる。
ところが、昨日は気温25度で無風。陸奥湾に面した海岸線から見る海は、静かに凪いでいた。まさかの美しい夕日を、浅虫温泉で見ることができた。津軽海峡、夏景色。
さて、このブログを書いている時間は、午前11時30分。青森から乗ったリゾートしらかみ2号は、かえり便では海側の展望シートが確保できた。4号車の1A。五所川原駅からは、津軽三味線でじょんがら節を演奏するペア隊が乗り込んでくる。その掛け合いが間近に見られる先頭車両だ。
電車は、先ほど十二湖駅に着いた。乗客の半分くらいが降りていく。白神山地や青池の付近を散策するためだろう。急に車両の中の空気が緩んだ。
ここから約1時間で、加藤祐悦くんが改札口で待っている能代駅に着く。50年ぶりの同期会の前に、今夜は高校時代の同級生たちと再開する。藤島くん、西方くん、長谷部さん。
今夜は何人が顔を出してくれるだろうか?